小沢一郎政治塾 2月課題 No.35 長根英樹
私の施政方針演説 2001.02.26
第百五十一回国会における内閣総理大臣施政方針演説
【はじめに
〜 総理大臣としてのアカウンタビリティ認識と覚悟】
今日から第百五十一回国会が始まります。
例年一月開催の通常国会は、予算すなわち各分野における
お金の使い道計画を通して、今後約一年、来年度までの間、
どの様に国家運営を行っていくかを具体的に論ずる重要な
場となります。
各党各議員の議論に先立ち、国政を預かる最高責任者の立
場にある内閣総理大臣として、今後どの様な形で国の運営
を進めていくか、施政の基本方針をご説明いたします。
「国会は、国権の最高機関」であると、憲法では位置づけ
られています。
その国会において、年頭今後一年の国家運営に関する内閣
方針を明らかにすることは、すなわち国会、並びに総理大
臣職における説明責任を果たす上で、最高レベルの場に立
つことである。私自身、この様な認識の下、今まさにその
覚悟を持ってこの壇上にありますことを表明いたします。
【全国民に向けて演説を】
また、国会を真に国権の最高機関として機能させて行く為
には、国政選挙を通じて選ばれた議員各位の国会における
真摯な議論と共に、その大まかな行方について国民自らが
注目をして、時に言動を以て政党、議員活動に賛否表明を
行い、選挙時のみならず国会、国政に関与していくことが
重要と考えます。
その意味で、私はこの施政方針に関するご説明を、国会内
のみならず、広く国民に向けてた形でお話しいたします。
政治への無関心、諦め。誰がやっても政治は変わらない。
などと政治と国民の距離感を嘆く声も耳にするところです。
もちろん、政治家の立場で、こうした意識態度を是認する
ものではありません。
無関心、諦めからは何も生まれず、白紙委任は現状の容認
として自らの理想とかけ離れた政治構造の継続を許すこと
となります。常に、最善が得られなくても次善、次次善と
いう方向で意思表明をすることが重要となります。
また、リーダーによって政治は大きく変わり得るものです。
しかしながら、こうした政治と国民の距離感をもたらした
背景としては、従来、政治家の視点が永田町近辺の非常に
狭い範囲に集中して、国会や選出議員の背後にある国民の
視線を意識する度合いが少なかった、ということが大きな
要因になっている点も認識する必要があると考えます。
国会における野次とそれに対する振る舞い、あるいはすれ
違いの議論やのらりくらりとした答弁、党首討論の頻度や
時間などの問題。これらも、目前の議員個々人や国会空間
という内輪の関係性、いわば“国会内民主主義生態系”が
意識の中心にあり、次の選挙まではその閉鎖系の中だけで
民主主義、多数決論法が運用できると錯覚し、国民の政治
関与に鈍感になっていることが要因ではないでしょうか。
もし視野を広げて、背景にある民意や国民の視線も含めた
“国民民主主義生態系”を認識するのならば、全く根本の
あり方や対処の仕方が違ってくることでしょう。
それ故に私は、従来の形式的になりがちな首相演説のスタ
イルとは別に、長くなりますが、自分自身の言葉で、広く
全国民に向けて、なるべく分かりやすく、学生にも通じる
様な形で率直にお話ししたいと考えております。
総理大臣の国会演説が、学校職場、家庭等において、また
ニュース番組、ニュース欄以外のテレビ新聞等メディアに
おいて話題になることによって、各層各単位での政治への
関心も徐々に高まっていくものと考えます。
また、こうした家庭における親子の会話は、民主主義政治
における個人、家庭と地域自治体、国家との関係を再認識
することにも繋がり、政治への関与や意思表明の重要さ、
政治家を選ぶ視点の重要さが実感されるものと考えます。
【日本一新 〜 活き活きとした自己実現自立社会】
さて、今後一年、更に数年間は、日本一新、根本からの大
構造改革により国のあり方を変え、フリー、フェア、オー
プンの精神に基づく社会の実現を目指します。
この社会は、新たな時代を、誰もが豊かに安心して希望を
持って暮らしていくための社会です。
自由で公正な競争の下、それぞれの分野において頑張った
人が報われ、また次に別の工夫をし頑張った人が報われる。
この様な各人の頑張りの連続的な蓄積、相乗総和によって
社会全体の質が螺旋階段を登るが如くに高まっていく社会。
これはまさに、民主政治、市場経済社会の目指す理想像に
他なりません。
“新たな起業家や政治家の自由なチャレンジ、提案を受け、
各市場において市民がそれぞれの選択を行い、その選択
の総和によって市場秩序、政治秩序が形成される社会。
自己責任に基づく自立の精神を背景に、常なる切磋琢磨
により、活き活きとした自己実現が図られる社会”
そのものの姿といえます。
日本一新の構造改革は、すなわち我々が選択し尊重をする
民主政治、市場経済を健全に機能させ、本来の姿で運用し、
高度に昇華させた社会を目指すものであります。
【民主政治、市場経済における“選択”の重要性】
民主政治、市場経済の健全運用においては、市場における
個々人の“選択”の質的向上が不可欠となります。
自由な“選択”には、結果に対する責任も伴います。
この“選択”は、決して博打的な判断を求めるというもの
ではありません。
この自己責任に基づく“選択”を、十分に納得のいく形で
的確に行い、その質を高めていくためには、選択肢を比較
検討するための充実した情報が不可欠となります。
選択のための基礎的な一次情報、他との比較データ、論評
解説等、これらの充実があってこそ、初めて個々人の選択
は、博打的要素のない、結果責任を伴う確固たる市場への
意思表明、参加となり得ます。
例えば、車を購入する場合。
車専門雑誌や車専門テレビ等、車を選択購入する際の情報
については、一次的な基礎データ情報の他に、各種の解説
や論評、様々な視点による試乗体験レポートなども含めて
ずいぶんと充実しています。
どの情報、評価に重きを置き、情報の取捨選択を行うかも
含め、かなり納得度の高い選択をしているものと思います。
一方、銀行や保険、証券など金融の分野における選択では
いかがでしょうか。
商品やサービスの内容、あるいは会社そのものの信用状況
について、一次的な基礎データ情報が十分に公開されて、
解説や論評等も充実した中で選択が出来ているでしょうか。
従来は絶対安心と見られてきた業界大手の企業においても、
思いがけない破綻がありましたが、その会社やサービスを
選んだ方々は、破綻による損失を、自己責任で選んだ結果
だと納得しているでしょうか。
消費者が選ぶ段階では、業界内で大きな格差の出ない様、
護送船団式の細かい市場規制により、各社毎の自由な商品
開発や広報広告等情報提供活動を制限しつつ、いざ破綻の
段になると、市場原理を錦の御旗とし自己責任原則により
消費者個人にその損失の負担を求め、監督責任を一切負わ
ないという規制と自由のアンバランスがあります。
これでは、納得のいく選択に基づく、自己責任、すなわち
結果には自分で責任を負うことを前提とした市場参加とは
到底言えません。
破綻企業を選んだ人も、選ばなかった人も、確信的な選択
というよりも、偶然要素の強い選択により明暗が分かれた
面が大きく、自分の選択判断に絶対の自信を持っている人
は少ないのではないでしょうか。
この様な意味において、結果としては博打的な選択だった
と言えるのではないかと考えるところです。
以上の様に、政治、市場の選択において、情報は決定的に
重要な意味を持ちます。
ここで、責任ある選択を行う上での前提となる情報開示を
推進するために、まずは、政府における情報開示の推進策、
すなわち規制や誘導が重要となります。
一方、国民一人ひとり、消費者の立場でも、企業に対して
直接情報の開示を要求すると共に、納得のいく情報を提示
した企業から選択し、確信の持てる情報を示さない企業は
選ばないことが重要となります。
この様な形で消費者の情報要求が高まれば、他社が情報を
出していないから出さないという横並びから、車の情報と
同様に、企業の方から積極的に情報を提示することとなり、
いかに分かりやすく伝え消費者に信頼感を与えられるかと
いう形で、信頼獲得が企業側の役割へと変わります。
民主政治、市場経済は、その制度やシステムによって担保
されるものではありません。
「日本は民主政治の国だ」「市場経済の国だ」とその形式
に満足することなく、公正な競争と確かな選択、その連続
蓄積によって、常に運用のレベルを高めて行くことにこそ
価値を見出していくべきと考えます。
新たな時代において問われるのは、「民主政治、市場経済
をどの様に運用して、社会の質や活力を高めている国か」
という中味内容になることでしょう。
【情報アクセスの保障と情報自由化民主化革命】
この高度な民主政治、市場経済の確固たる実現のために、
個々人の選択の質的向上を図る意味合いにおいて、私は今、
内閣総理大臣として重大な決意をもって国民のみなさんに
一つの約束をいたします。
それは、「情報アクセスを国民の権利と位置づけ、国家の
責任において保障する」というもので、内閣の最重要政策
となります。
この情報アクセスは、
一、「情報公開の促進、説明責任の徹底」
一、「広帯域情報ネットワークの整備とこれへの無料接続」
の二つを柱とするものです。
かつて織田信長は、関所を廃止して自由な往来を保障し、
人やものの交流を促進しました。
これにより国の活力を大きく高め、産業文化を発展させて
生活の豊かさと強固な税収基盤を築きました。
現在は、情報技術の飛躍的な進歩によって、実際の道路を
用いなくても、情報通信回線ネットワークを通して、映像、
音声、文字等の情報を多面的にやりとりする手段が現実の
ものとなった訳ですから、この整備により情報流通を促進
して国の活力を高めることが、今の日本における重要課題
であると考えます。
今盛んに「IT」という言葉が用いられていますが、イン
フォメーション・テクノロジー=情報技術における“技術”
という側面を強調しそれだけに着目すると、時代の大きな
変革の流れを狭い視点で見誤ることになりかねません。
インターネット社会の本質的な意義、革命的要素は、情報
技術そのものではなく、この進展による情報流通の促進、
すなわち「情報の自由化、情報の民主化」にこそあるもの
と捉えます。
既に日本国土の基幹部分には、官民含めて幾重にも高速の
光ファイバーケーブルが整備されています。
この基幹線と各戸までの間を繋ぎ、全国全戸への情報通信
回線ネットワークを構築いたします。
この際、入札方式等によって、民間の既設回線投資が無駄
にならない様に借り上げ、しかも新規の敷設、運営維持に
おいても競争原理が働く様な基本方向で進めます。
道路や電線と同じ様に、大容量の光ファイバーケーブルが
各家庭にまで繋がると、インターネットが双方向テレビに
変わります。
現在のインターネット動画中継は、転送できるデータ容量
が小さいために、画像のサイズも小さく、動きもなめらか
ではなく、途切れがちとなります。
大容量回線の整備により、多くのデータが転送でき、初め
てテレビと同じ様に、大きな画面で、きれいでなめらかな
画像を見ることが出来ます。
インターネット初心者にとっては、何万ものチャンネル数
を持つテレビが、月額無料で見られることとなります。
機械自体も、ビデオデッキやゲームマシンの様に、従来の
テレビと繋いでリモコンで操作する外付け小型タイプの他、
五十音順に並んだ日本語キーボードなども出てくることで
しょう。
今までのテレビと違う特徴としては、双方向性があります。
従来は、チャンネルを回した後は、流れてくる画像を見る
だけでした。もちろん、今後もこうした使い方ができます
が、自分で見たい情報を選び、ボタンを押して画面を切り
替えていく、電子紙芝居的な使い方が出てきます。
また、簡単な操作でアンケートへの参加やプレゼントへの
応募、意見の投稿、電子メールなどの情報発信が出来ます。
データ保存型のホームページでは、いつでも、何回も繰り
返して情報、番組を見ることが出来ます。
全国、全世界の個人発信ホームページを見ることで、従来
マスメディアでは取り上げられなかった様な分野、切り口
の、専門的で多彩な情報、番組を見ることが出来ます。
もちろん国会中継も、各委員会各会合の様子を、いつでも
大画面のなめらかな動きで見ることが出来ます。
この他、二台、三台のテレビで部屋毎に別々の情報、番組
を見たり、電話も同じく二台、三台を繋ぎ同時に使ったり、
テレビ電話も可能となります。
また、各種家電の遠隔モニター、リモコン操作なども含め、
一度にそれぞれを何台分も使える様になります。
もちろん、インターネットを使い慣れた上級者にとっても、
更に快適に、高度なサービスを、二十四時間繋いだままで
存分に満喫することが出来ます。
ここで重要なのは、インターネットの初心者も上級者も、
少なくともテレビを見る様な形で容易にネットワーク上の
情報を見ることが出来て、全国民がそれぞれの形で情報の
活用を行える共通の土台に立つという点にあります。
【情報に競争原理を】
個人レベルでの自由な情報収集や情報発信が盛んになると、
従来は組織上部やマスコミ等の限られた人々しか知ること
の出来なかった、あるいは知るのには非常に手間やお金の
かかった一次情報の入手機会が飛躍的に高まります。
これにより、マスメディアの報道や論評が、一般市民から
検証、評価される様になり、情報にも競争原理が働くこと
となります。
本来、ジャーナリズム、メディアの本義として、民主政治、
市場経済の健全運営のために、市民の選択を情報の面から
サポートし、比較データや論評を提供する役割があります。
しかしながら、時に「第4権力 The fourth estate」と
まで称され大きな影響力を有するマスメディアは、規制や
既得構造の内部にあって牽制勢力との競争が緩やかとなり、
往々にして、個々人の意識や能力とは別に、組織の硬直化、
機能不全を起こし守旧派となる傾向を持ちます。
また、市民の側も日々大量の情報を前にして、そのムード
に流され勝ちとなり、批判的精神で情報を咀嚼したり他の
論調と比較吟味することが疎かになります。
結果として、判断を他に委ねる無責任他律型の行動様式に
陥る傾向が強くなります。
今までのマスメディアは、マス、すなわち大衆から選ばれ、
認められているメディアというよりは、大衆に情報を伝達
する手段を持っているメディアと見ることが出来ましょう。
情報アクセスの保障による情報民主化は、情報発信を個人
にも解放すること、またその受信を個人が容易に行える様
にすることで、情報に競争原理を働かせ情報の質を高める
ことに繋がります。
的確な情報発信、魅力ある提案が出来れば、マスメディア
に頼らずともより多くの人々から支持や選択を得ることが
可能となり、また的確な情報の咀嚼判断が出来れば、いち
早く有利な選択をすることが可能となります。
個々人の情報に対する感度が高まり、情報の質も高まって
いくことでしょう。
自ら情報を判断し、意志の決定や選択を行い、その結果に
責任を負う。
この自己責任行動により、成功をしたり、時に苦い思いを
したりと経験を積み重ねていくことで、意識の改革、個人
の自立が進んでいくものと考えます。
【情報リテラシー向上のために】
また、情報アクセスの保障と対になる課題として、情報を
受け取り活用する側個々人の「情報リテラシーの向上」が
大きなテーマとなります。
この情報リテラシーとは、情報をうまく収集咀嚼し、情報
を的確に発信し、また相互のコミュニケーションを通じて
情報価値を高め創造を行っていく能力のことを言います。
一、「情報を受け取る力」
これは、情報の的確な検索収集能力の他に、情報の
真偽や意図的な誘導表現を見抜く力。
情報を分析整理して体系化する力です。
一、「情報を発信する力」
自分自身の考えや気持ちを分かりやすく伝える力。
例えば、双方向テレビでプレゼントに応募したり、
意見を投稿したりする能力。
電子メールでコミュニケーションをする能力。
ワープロを使い文書としてまとめる能力。
ホームページを作り情報発信をする能力。
これらを効果的に行うため、文字情報の他に画像や
音声等を用いて表現する基礎的な能力などです。
一、「情報の受発信を通じて他者と交流し創造する力」
先の能力を踏まえて、他者と交流して相互刺激の中
から共感を深め、新たなものを創造していく力。
これは、他者や集団の中でのコミュニケーションに
おいて、いかに関係づくりを行うか。思いやりや心
くばり、個人の自由とコミュニティ内での義務制限
のバランスを心得て交流する能力。
この交流を通じて、価値を創造する能力となります。
この情報リテラシー向上をサポートする施策として、学校
教育と地域における社会人教育、この両面から施策を展開
いたします。
例えば、小学1年生、4年生、そして中学1年生と3年毎
に、それぞれの段階に応じてノートパソコンを教科書同様
に無料配布して、学校で情報教育を行います。
生徒へのノートパソコン配布は、家庭に持ち帰っての世帯
配布と同様の意味合いを持ちますので、父母等大人の意識
変革、親子での取り組み、家庭教育の活性化にも繋がると
考えます。
また、情報リテラシー教育においては、現在の教師だけで
なく、新たにビジネスマン出身者などの雇用、委嘱を促進
します。
学校のみならず、地域においても希望する大人や就職希望
者などに対して教育を行います。
情報リテラシー教育は、今後の自己責任自立社会において
絶対不可欠の重要課題となりますので、公的に人材面での
集中投資を行うべき分野と考えます。
今後、各種規制の撤廃緩和等により、産業構造の大転換や
人材の再配分が不可欠となりますが、初期における緩衝的
意味合い、人材吸収分野として、この情報リテラシー教育
分野は大きな時代的役割を果たすものと考えます。
また、情報の基礎的能力を持ったビジネスマンの再配分、
特に知的労働、社会づくりへの関与という観点からの故郷、
地方都市への移動は、地域社会における情報産業の底辺拡
大だけでなく、他産業、生活文化面をも含めた地域活性化
に繋がるものと考えます。
公共サービスには、各人の使用程度に応じて受益者負担の
原則で行う従量型サービスと、全員に等しく同一の保障を
行う一律型サービスとがあります。
水道料、電気料などは前者の従量型サービスとなり、使用
量に応じて料金が上下します。
一方、歩いて学校へ通う際の道路、あるいは図書館などは、
遠くから歩いて来た生徒が、距離に応じて道路整備費用を
多めに負担することもなく、また本をたくさん借りた人が、
冊数に応じて税金を多く負担することもない、後者の一律
型サービスとなります。
必ずしも、すべてのサービスにおいて従量型とする合理性
はなく、国や社会のあり方を広い視点で捉えた時、全体の
利益に適うと判断をすれば一律型、完全保障型のサービス
を選択することもあってしかるべきと考えます。
そして、その判断は、目指す社会の将来像、展望を明確に
した上で、政治の役割、責任において行うべきものである
と考えます。
規制の撤廃緩和、制度の変革は、新たな創造チャレンジの
意欲を高める意味で非常に重要な意味合いを持ちます。
しかしながら、創造そのものを促進する作用は期待が薄く、
故に心配、抵抗も出てきます。
この十年、遅々として社会構造の改革が進まなかったのは、
政治の責任もありますが、国民一人ひとりの中にある変革、
自立への“おそれ”も要因になっているものと考えます。
私は、「情報アクセスの保障」と「情報リテラシー向上の
サポート」こそが、個人の創造性と自立を促し、社会変革
を推し進める鍵になると考えます。
この二つが両輪となり、新たなチャレンジにより自己実現、
自立を果たす人々が次々に出てくることでしょう。
変革、チャレンジへの“おそれ”が“希望”へと変わり、
新たな目標が明確に見えて、新たな日本の姿に自信を持つ
ことが出来たとき、国民の意識改革は進み、努力した人が
報われる、活き活きとした自己実現自立社会が現実のもの
となることでしょう。
私は、この様な将来展望と意義の認識に基づいて、政治の
責任において「情報アクセスの保障」と「情報リテラシー
向上のサポート」、この二つの政策を、一律完全保障型の
サービスとして推進して行くことを約束いたします。
【レギュラシオン 〜 政治統御の社会経済システム】
ここで、政治と社会経済の相互関係、市場原理や自己責任
原則と社会保障、福祉とのバランス、また社会のやさしさ
というものについて、基本的な考え方をご説明いたします。
一部において、自由競争や自己責任というと、弱肉強食の
殺伐とした社会になるとの懸念も聞くところですが、私は
そうではないと考えています。
市場原理、そのメカニズムは非常にシンプルで、どの様な
社会経済体制下にあっても一律に作用する、普遍の法則で
あると考えます。
旧ソ連の計画経済も、「休まず、遅れず、働かず」と喩え
られた様に、頑張った人もそうでない人も、評価待遇の面
において、頑張りに見合った形で差が付かないという社会
構造の下、まさしく市場原理に基づいた形で全体の頑張り
レベルが低下し、経済が非効率になったものと考えます。
この様に、市場経済体制においてはもちろんのこと、計画
経済体制においても変わらずに作用する法則となるならば、
次の段階としては、如何にこの市場原理を健全に活用し、
社会運営の質を高めていくかが重要になるものと考えます。
現在の市場経済体制諸国においても、すべてを市場の自由
競争に任せている訳ではなく、市場への関与、計画的要素
の付加により、社会経済運営をマネジメントしている事例
があります。
「独占禁止法」などはその最たるものといえます。
秩序を市場に任せるという市場原理、自由な競争があれば
こそ図抜けた勝者も現れます。しかし、一旦寡占が進むと、
今度は、その市場原理、すなわち絶対勝者の自由な影響力
行使によって新規参入のダイナミズムが薄れ、結果市場が
不活性化してサービスの質が低下します。
自由な競争、チャレンジ精神の組み入れによって継続的な
質的向上を目指す市場経済が、その市場重視、非計画性の
理念が故に、かえって計画経済よりも硬直化して発展性の
ない経済になってしまう可能性がある。
こうした市場重視、自由競争の限界を踏まえ、あらためて
市場経済の原点に立ち返り、新規参入による健全な競争と
そのダイナミズムによって市場の連続的発展を目指す、と
いう本来の目的を重視する。
そして、市場の自由については、基本的手段と位置づけて
絶対視をすることなく、時に一定の制限を与えつつ、総合
的に市場をマネジメントする。
この様な観点から独占禁止法が出てきたものと考えます。
この他にも、「障害者の雇用促進制度」の様に、社会保障、
福祉という視点から、市場に制限を与えている事例もあり
ます。
障害者は、自らなりたくてなったのではありません。
また、私達自身も、いつ事故に巻き込まれたりして、自分
の意志や過失の有無に関わらず、障害をもつことになるか
分かりません。常にその可能性はあるのです。
こうした中、障害を持った人がそれぞれの形で社会に参加
をして、活き活きと自立して暮らしていける環境が整って
いなければ、本人はもとより家族も含めた悲しみ、怒り、
絶望などの想いから、まわりに無気力や自暴自棄、復讐、
恐怖などを誘発し、社会は非常に不安定なものとなります。
昔から、目の不自由な人に金融等の特別な職業権利を与え
たり、地域の地主、庄屋など有力者がサポートを行ったり
と、福祉、社会の安定の観点から、様々な立場、レベルで
施策、心配りがありました。
もちろん、現代においてもこうした社会保障の整備は重要
であり、公的なサポートに加え、企業においても、社会を
構成する一員として、その影響力に見合った形で役割分担
を果たすべきだという“コーポレイトシチズンシップ”の
観点から、法定雇用率に基づき障害者の雇用を義務づける
形で、市場への制限、マネジメントが行われています。
以上の様に、市場原理、競争のメカニズムは、社会経済の
体制を問わず、普遍的に働きます。
そして、経済分野に限らず、行政、社会保障、福祉、教育、
文化等、様々な面においても普遍的に働きます。
また、市場や自由競争は決して万能なものではありません。
重要な点は、その本質を理解して、如何に健全な形で活用
するかにあります。
金額換算されるもの、あるいは目に見える価値や負担だけ
ではなく、目に見えないもの、長期の視点で価値や負担が
明らかとなるものなども含めて、市場や競争、牽制の関係
性の中に組み込んでいくことが重要と考えます。
例えば、環境の問題。
一次原料と再生原料の環境に与える負荷を比べたときに、
本来ならば再生原料の方が負荷が低く環境にやさしいのに、
実際には一次原料の方が安くてリサイクルが進まない場合
があります。
これは、環境負荷、原料再生の負担を後世に先送りしたり、
税金で全員一律に負担したりして、原料使用の際の価格に
組み入れていないことが原因です。
これに、一次原料税を課せば、資源を無駄にすることなく、
リサイクルを価格競争力の面でも推進することとなります。
また、後々自然回復などの面で、一次原料製品を使う人も、
再生原料製品を使う人も、一律の悪平等で税負担をすると
いうことがなくなります。
市場や競争、牽制に任せるべきものを制限し、制限すべき
ものを放置する。
この様なことにならないため、今後は、価値や負荷を吟味
して、規制や税制、補助金、心理誘導、各種方向付け等に
より市場や競争、牽制に組み込み、マネジメントしていく
ことが重要になると考えます。
この市場や競争、牽制への関与、マネジメントは、目指す
国家理念や理想の社会像に基づいて行われるもので、まさ
に民主的に選出された政治家の役割となります。
この意味で、政治が馬の手綱を御する様に誘導、統御する
社会経済。そして、政治関与の役割を認識しつつ、如何に
統御していくかというマネジメント力が問われる社会経済
となります。
これこそが新たな時代の社会経済であり、政治と社会経済
の関係性であると考えます。
【政治統御による日本一新】
こうした政治統御の社会経済システムを踏まえ、日本一新
の構造改革推進においては、次の方向で市場や競争、牽制
の関係性をマネジメントいたします。
一、新規の参入、自由な競争促進という面では、大胆な規
制の撤廃、緩和を行います。
一、情報開示の面では、これを促進する形で新たな規制や
方向付けを行います。
一、環境の面では、従来、必ずしも本来の価値や負担が市
場や競争、牽制の中に組み込まれていなかったという
問題を認識し、トータルな形で持続可能な社会を創り
維持していくため経済価値の顕在化を図ります。
一、行政、教育の面でも、経済視点、競争、牽制の視点を
組み込み、常に生活者の意向が意識、反映される形で
運営が行われる双方向の相互関係を再構築します。
一、福祉、個人と社会との関わり、社会の安定ややさしさ
という面では、自助、互助、扶助のあり方、相互関係
を踏まえ、それぞれの立場において、納得性の高い形
で応分の役割を果たし合う、自立と社会保障の関係を
再構築します。
具体的な施策事例を説明いたします。
学校教育については、地域学習、社会学習という形で学校
と地域社会との連携を深め、基礎学科の他に人格文化面を
含めた総合的な教育のあり方を再構築します。
この際、学区制の廃止、あるいは運用の弾力化によって、
学校選択の幅を広げます。
学校と地域社会との連携により、総合的な教育の在り方を
模索していく過程においては、学校毎の取り組みの差や、
推進方法への考え方の違いが出てくることも予想されます。
その際に、家庭の判断において選択できる権利を保障する
ことによって主体性を尊重し、また教育においても健全な
牽制を働かせ、民主的な運営を行うことが重要と考えます。
また、公的負担の方式と社会の公平や累進性の問題など、
納得性の高い社会保障について。
一律に公的負担を求めることは、同じ社会サービスを受け
るのに、お金持ちもそうでない人も、同一額の負担をする
こととなりますので、民間企業からサービスを買う場合と
同じになります。
税負担の公平の面からは、公的部門でサービスを行う意義、
あり方の検証が必要となる、経済的弱者に厳しい逆進性の
高い施策となります。
一方逆に、一律に公的負担を免除することは、お金持ちも
そうでない人も、同一額の還元を得ることとなりますので、
相対的には経済的弱者にとって還元率の大きくなる累進的
な施策となります。
こうした観点から、年金、健康保険の基礎的部分において、
一律負担の方式をあらため、これを免除します。
そして、所得や資産の大小に関わらず、実際にものを買う
際に使った金額に応じて累進的に負担を求める消費税方式
によって代替します。
この際、食料品や生活必需品については、課税免除や税率
低下を行います。
また、社会における家族、家庭の役割や意義を尊重して、
家庭の自立、自助における主婦の労働価値を再評価いたし
ます。
男女に限らず、家庭の外で企業に所属して行う労働だけが
価値のあるものとは捉えず、家庭内労働における地域社会
への貢献を重視します。
すなわち、家庭教育、家庭介護、家庭での環境への配慮は、
公的負担を減らす価値ある労働であり、自助、互助の基礎
と考えます。
こうした観点から、年金制度改革において、“世帯の収入
は、夫婦二人の家庭内外における労働の共同成果”と捉え、
両者が等分に同額を受給する所得分割の考え方を導入する
など、家庭労働の経済価値組み込みを行います。
これが、私の考える公平性、納得性の高い負担のあり方と
なります。
この様に、誰がやっても政治は変わらない、ということは
なく、政党、政治家それぞれの理想社会像に基づき、税制
や規制などで、社会経済のあり方は大きく変わるものなの
です。
安いものが欲しい、質の良いものが欲しい、たくさん利益
を上げたい、高い評価を得たい、負担は少なくしたい。
この思いは市場原理の根本であり、いつの時代も、どんな
社会でも変わらない、人間存在の原始欲求といえます。
政治の役割は、この欲求を認め、その作用影響を認識して、
欲求の追求が社会に負担、悪影響をもたらさない様にし、
逆に欲求を満たす努力をすればするほど、目指す理想社会
に近づく様、社会経済をマネジメントし統御して行くこと
にあると考えます。
【長期の社会経済展望 〜 国家的プロジェクト】
さらに、長期の社会経済展望としては、新たな時代の国家
基盤、社会資本の整備を行う、国家的プロジェクトを推進
していくことが重要だと考えます。
首都の移転により、新たな政治行政体制を確立し、意識を
含めた本格的な体制移行を図ります。
またこれは、あらためて価値観や豊かさ、ライフスタイル
を見つめ直し再構築することにも繋がるものと考えます。
基礎的なインフラ整備としては、共同溝方式により、上下
水道やエネルギー、通信など各種ライフラインの整備充実
を図ります。
特に地方地域における下水道は、未だに整備普及が進んで
おらず、三割に満たない普及率の市町村が数多くある現状
です。
基礎的な生活環境整備という意味で、この際、大胆に力を
入れて、トータルなライフライン整備として取り組むべき
分野と考えます。
また、交通の面でも陸海空にわたり、大量輸送と個別輸送
のバランス、集積と分散の体系整備、運転サポートや道路
誘導システム等の研究、推進が課題になるものと考えます。
エネルギー分野においては、新たな時代にふさわしい持続
可能で安定した、クリーンで効率的なエネルギー体系へと
移行を進めることが重要となります。
具体的には、水素を媒介とした自然エネルギー体系が目標
となります。
その過渡期においては、化石燃料の中でも環境負荷が低い
天然ガスに比重を移し、将来の水素媒介エネルギー体系に
おいても活用可能なガスパイプラインを整備し、燃料電池
や水素の保存移動、各種自然エネルギーの研究開発を行い
ます。
また、国際間協調によるエネルギーのシェア、エネルギー
共同体としての交流促進、国際安定強化なども構想すべき
テーマと考えます。
【日本の精神基盤を温故知新 〜 きものを通して】
次に、精神、心の面について考え方を説明いたします。
これが、理想の社会像を構想する際の基礎となり、政治、
経済、行政、教育、科学、文化等の面において、具体的な
政策判断という意味で密接に関わり、政治統御の社会経済
運営がなされることになるからです。
精神、心の在り様は、教育の基盤となります。
教育は、決して学校、学問だけで形成されるものではなく、
大人の振るまい、社会のあり方と連動する問題となります。
精神、心の在り様を正し、大人自らが身を律して在るべき
社会を模索する姿を見せることが、一番の教育になるもの
と考えます。
新たな時代の精神、心の在り様、価値観や文化を、今一度
あらためてつくり上げる意味において、自分自身の内部、
日本の内部にあるものを見つめ直して、その本質的意義を
探る「温故知新」が大切になると考えます。
日本文化の伝統的な価値観、先人達の蓄積のすばらしさ。
私はこれらのものを、きものを通じて、観念的にではなく、
衣服を身に着けるという生活に根ざした形で体感し、普遍
的な価値を持つもの、新たな時代を担う価値観となるもの
として確信を得ることが出来ました。
「衣食住」と言われる様に、衣服装いは、それぞれの人々、
地域、国の文化、すなわち価値観や美意識、心の在り様と
密接に関わり、相互に影響を及ぼし合う関係にあります。
そして、日本の伝統的な価値観形成の土台となり、同時に
和の心を表現してきた装いは、まさに和の服“きもの”に
他なりません。
きものを着ていると、季節の移り変わりに関する敏感さ、
繊細な感受性を実感します。
様々なきもの素材、織物の分類、それらのコーディネイト
には、微妙な季節の移ろいを感じ、それを味わい楽しんで
来た様子が見て取れます。
春夏秋冬、四季の分類だけではなく、更に細かく分類した
中国伝来の二十四節季も感じ分け、実際に生活慣習や衣服
装いの中に取り入れてきた繊細な感性。
これは、自然への慈しみ、感謝につながり、弱いものへの
優しいまなざしにつながります。
私の第二の故郷である山形県南部の米沢、置賜地域には、
「草木塔」という、自然の木や草花を供養する搭が数多く
残されています。
また、花鳥風月を愛でる心は、自然と一体になる中で生活
のメリハリを味わう風流、美意識につながります。
更に、人智をはるかに越えた自然の営みへの畏敬は、人間
より大きなものの存在を確信させ、時に高い理想へ一身を
ゆだねる高度な公私関係の基礎になったものと思われます。
きものの仕立て、布の段階活用には、ものを大事に愛おし
む心、エコロジカルな思想を感じることが出来ます。
隙のない直線的な裁断図には、真理の強さ、美しさが表れ
ており、生地を無駄にすることなく再び一枚の布に戻して
活用したり、揚げや繰り回し等によりうまく再生する工夫
が見て取れます。
布は、補強、継ぎ等により大切に使われますが、布として
の強度が落ち、破れやすくなった最終段階でも、更に細く
引き裂かれ、再び布糸として新しい糸と共に織り込まれる
裂き織り技法などにより最後まで活用されます。
きものの素材、色、柄、小物も含めた深い吟味とこだわり。
また、それらの意味性を象徴的に捉え一つのストーリーを
描く高度なコーディネイト解釈。
時と場、立場に応じた多段階の礼装表現など。
これらからは、知的なしゃれ心と共に豊かなセンス、大人
の男のダンディズムなどを感じることが出来ます。
「襟を正す」「折り目正しく」などの言葉がありますが、
礼装、公的な装いスタイルからは、公私のメリハリを大切
にする心や覚悟が感じられます。
気軽な着流しスタイルとは違い、公的な装いである袴姿は
凛と気持ちを引き締め、装う側にある種の覚悟を求めます。
「仁」という愛徳をもって治め、「忠」の義により理想に
身を委ねる武士道精神は、紋付き袴スタイルであればこそ
心に宿ったエスプリであったと考えます。
【武士道精神 〜 高い理想主義】
ここで武士道の精神について、あらためて見つめ直しその
神髄を探りたいと考えます。
武士道は、私の第一の故郷、生まれ育った岩手県の新渡戸
稲造博士が、諸外国に日本の文化、精神基盤を伝えようと
約百年前に英文で著した書です。
現代では、かつての封建的な主従関係の要諦を解説した、
古い日本文化論として捉えられる面もあるやに見受けます。
しかし私は、昔話としては捉えておらず、新たな時代にも
活きる深い示唆を与えてくれるものと捉えています。
そしてその示唆は、文中において紹介のある一君主の言葉
に象徴的に表れていると考えます。
私の第二の故郷、米沢の上杉鷹山公が家督を譲る際、後継
者に授けた言葉「伝国の辞」です。
「伝国の辞」
一、国家は先祖より子孫へ伝へ候国家にして我私すべき物
にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこ
れ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立ちたる国家
人民にはこれ無く候
この言葉から読みとれるのは、高い理想主義の精神です。
君主と武士、人民との間に、直接的な主従の関係ではなく、
共通の理想を仰ぎ、共にそれぞれの立場、役割意識で理想
実現に取り組む関係性が存在した点に、深い示唆と感動を
覚えます。
上杉鷹山公については、同じくほぼ同時期に著された内村
鑑三氏の「代表的日本人」においても紹介があります。
米国第三十五代ケネディ大統領は、これらの書に目を通し
ていたとされ、記者会見において「最も尊敬する日本人は」
と聞かれた際に、上杉鷹山と答えたと言われます。
大統領就任演説における有名な一節、
「国が何をなしてくれるかを問うのではなく、
国のために何をなし得るかを問うて欲しい。」
という言葉には、個人の自由や権利とは別の視点から、国
のトップリーダーと国民とが共に共通の目標に向かう姿勢、
相互の義務という面で、武士道精神の粋との共通性が見い
出せます。
単なる民主主義ではなく、リーダーの役割、高い精神性を
重視し、国民にも参加義務を求める形で君主政治との高い
次元での融合、昇華のエスプリが窺えるところです。
【天道 〜 普遍の理想】
日本において、君主と武士、人民が仰いだ共通の理想は、
様々な外来文化の吸収により枝葉を広げながらも、脈々と
して根を長く伸ばし、日本古来からなる英知の年輪を積み
重ねてきた太く真っ直ぐな樹幹そのものであり、非常に純
粋で故に普遍の価値を持つ「天道」、天の道理であったと
考えます。
日本は無宗教の国ともいいますが、個々人における各々の
信仰はともかく、国、社会としては、特定宗派にとらわれ
ることなく、その存在を認めた上で八百万の神として尊重
しつつ、それらの高位に天道を位置づけ仰いできたものと
考えます。
上杉鷹山公の政治により、約二百年前、米沢、置賜地域は
まさに天の国ともいえる理想社会を実現します。
その象徴的なエピソードとして、実際に米沢を訪ねた学者
が残した「棒杭の商いの話」があります。
“人里離れた道の傍らに、わらじや果物などを棒杭にぶら
下げた、管理人のいない市場がある。
人々はそこに記されている通りのお金を置いて品ものを
持ち帰る。
こういった市場で、盗みが起こるとは誰も思っていない
のである。
この様な商いが、現実として行われている。”
この様な話です。
こうして米沢は、「至治の国」、治世ここに至れりとまで
言われる様になったとのことです。
この様に、天道に基づいた高度な理想主義、日本の文化、
和の伝統的な価値観には、凛とした気概、繊細な感受性、
慈しみやさしさなど素晴らしい宝、普遍の真理が詰まって
います。
今あらためて温故知新、この豊かな精神基盤を復興再構築
することこそが大事であり、新たな時代を切り開いていく
基礎となる課題であると考えます。
私は、今後国内のみならず外国訪問の際も含めて、折々の
場面できものを装い、きものスタイルを通じて、和の心や
日本の伝統的な価値観、新たな時代に目指す理念の背景を
伝えると共に、関心を持ってもらい理解を深めて行きたい
と考えています。
各個人、各家庭において、それぞれの形で精神や心による
支えを大切にして、正々堂々と誇りを持って新たな時代を
歩んで行ける様、確固たる精神基盤を確立いたしましょう。
【憲法の尊重 〜 国家理念との同一】
日本一新、新たな国家の体制をつくり上げるにあたって、
憲法は、ゆるがせに出来ない重要な問題と考えます。
私が、一番大切にしたいことは、憲法と現実との隔たりを
放置せずに是正を行い、常に憲法が現実のものとなる様に
することです。
これこそが真の憲法尊重の態度であると考えます。
そもそも、国家には憲法制定以前に、国の理念や国として
かく在るべしと考える理想の社会像があります。
そして、これを明文化したものが成文憲法であります。
よって、憲法は国の理念を表現するものでなければならず、
時代環境の変化等により国家理念、在るべき方向と、憲法
との間に矛盾や齟齬が生ずるのであれば、憲法を修正し、
その乖離を除去しようとするのが、憲法を尊重する真面目
な態度であり、責任ある政治の役割と考えます。
従来、「憲法の制約」という言葉を用い、あたかも国家の
理念よりも憲法が高位にあり、侵すべからざるものである
が如く語る態度が見受けられました。
現実と憲法との乖離、すなわち憲法違反の状態を放置した
まま、名目だけの憲法擁護を御旗に、本来の在るべき国家
像を模索することを怠ってきた政治社会の閉塞状況を見る
ところです。
さて、現状において、環境、情報、教育、宗教等の一部に
おいては、現実と憲法との間にズレが生じている面があり
ます。
加えて、分かりやすい文章表現や憲法改正手続き等の面を
含めて、憲法の修正を行い、実態との乖離、すなわち違憲
状態を是正することが必要と考えます。
何より重要なことは、国家の最高法規である憲法における
本音と建て前の使い分けを排除することです。
国民自身が、国家の理念、在るべき理想像に基づき憲法を
修正し、常に自らのものとして運用していくという認識を
持つことが大切と考えます。
【新たな時代における国際協調と日本の役割】
憲法における国際協調の精神と新たな時代の国家理念、国
際的な役割について、考えを説明いたします。
日本は己の意識するところと関わらず、国際的には大きな
影響力を持つまぎれもない大国であり、当然のごとくその
影響力に見合った役割分担を期待されています。
新たな世紀千年紀の幕開きを迎えて、大きな歴史の流れを
想い、人類史、文明史という視点から次代を構想するとき、
国際協調の枠組みを確立し真の世界共同体を構築すること
こそが目標であり、また国家理念にもかなう日本の役割で
あると考えます。
戦国から天下統一への流れを例に出すまでもなく、各地域
における人間集団は、近隣との衝突と再集団化によって、
徐々に共同体を広げてきた歴史を持ちます。
最初は、対立や衝突を繰り返しつつも、戦いを通して相手
の生活を知り、同じ人間としての家族、夫婦、親子、兄弟
への想い、愛情を知ったとき、互いへの理解尊重から協調、
再集団化が進み、共同体が一回り広がります。
この際の原点は、「幸せの分割は出来ない」という真理に
あると考えます。
他に争い、不幸があった状態で、自分だけが遊離した形で
幸せでいることは出来ません。
今日の様に、交通や情報流通の進展により、人々の交流、
相互関係が進んだ国際社会においては、尚更のことである
と考えます。
積極的にこの人類史を次のステージへと進め、世界共同体
を構築することこそが、真の安定へと繋がり、国家理念で
ある平和主義とも一致することとなります。
また反面、日本の平和主義、日本国憲法は、一国単独では
成立し得ない、高度な理想主義精神に支えられたもので、
政治の可能性を究極まで追求する高度なイマジネーション
によりもたらされたものであるといえます。
これはまさに、天道という高い理想を仰ぎ、無私の心志で
身を委ねる日本のノブレスオブリージュの粋、「武士道」
の精神基盤があってこそ昇華することが可能な人類の英知
であると考えます。
私は、新たな時代にあらためて日本伝統の価値観、武士道
の理想主義精神を復興再構築して、平和主義の国家理念、
憲法の精神を現実のものとすべく、国際協調の推進、国連
改革を通して世界共同体を構築することこそが、今我々が
目指すべき天道であると考えます。
日本一新の国内改革により、活き活きとした個人の活力を
高め、総体としての国の経済力、技術力、精神文化を高め、
世界共同体の高い理想を示し、一国一国個別の国家間交流
を通して信頼の和を世界に広げて行こうではありませんか。
みなさんへ、未来への共同参画を呼びかけいたしまして、
私の施政方針に関する演説を終わります。
以上 |