小沢一郎政治塾 後期2月課題「構造改革について」 長根 英樹 2002.02.25
小泉内閣が主張する構造改革について。
この点については、再三に渡る国会での質疑を通じて、また内閣発足以降10ヶ月間
の政権運営実態=結果からみても、一貫性のある理念や体系的なプログラムは存在し
ないことが明らかであると考えます。
小泉首相の言動や視点はすべて旧来の自民党政権の枠組みを前提(:スタンダード)
としたものであり、それより一歩前進したり少し枠を越えることで達成感を得る程度
の改革意欲しか見られません。
また政治の役割認識という面においては、旧態依然として変革が見られないだけでは
なく、致命的な責任感の欠如を露呈したものと考えます。
権力を預かる立場でそれを健全に行使すると共に、その結果に対して全責任を負うと
いう政治のリーダーシップ、また官僚との関係性における変革意志は見られません。
殊にテロ対策特別法の制定と海外派兵においては、最高法規である憲法への信頼性、
及び軍最高指揮官としての命令の重みやその正当性を大きく損ねた意味から、日本の
民主的国家運営の将来に大きな禍根を残したものと考えます。
以上の様に、小泉内閣の構造改革は、「改革」という視点で比較の対象となる実態を
有するものではないと考えます。
◇
自由党の主張する構造改革、日本一新について。
改革においては、理念や具体策が重要となるのはもちろんのことですが、それ以前の
問題としてどの様に進めていくかという姿勢も非常に重要になるものと考えます。
野党の立場にあって、政府の政権運営や諸施策を厳しい目で見つめ批判していくこと
は大きな役割となりますが、それと同時に、対案をまとめるのみならずそれを訴求し
支持を広げていくことは更に大切な政治家の責任になるものと考えます。
その意味で、小泉政権に代わる改革構想として日本一新の理念や政策を具体的な形で
分かりやすく繰り返し訴求していくこと、また効果的な訴求方法を探っていくことは
野党政治家としての最大の責務になるものと考えます。
政治家にとっての理念や政策は、それをまとめることに意味があるのではなく、訴え
支持を広げ、政権を獲得し実行してこそ価値が生まれるものと考えます。
日本一新の基本フレームは、「5つの指針」と「5つの具体策」によって構成されて
いるものと思います。
この他に自由党の理念や基本的な考え方をまとめたものとしては、「党綱領」「日本
再興のシナリオ」「新しい憲法を創る基本方針」などがあります。
現在のところ、これらと日本一新の相互関係、秩序構成が体系的に整理されて分かり
やすく提示されている状況にはない様に思います。
理念やビジョンを如何にまとめ、また如何に効果的に伝え実効を上げていくかという
ビジョンマネジメントの視点を導入して、党の理念政策体系及び日本一新の全体像を
再整理することが重要と考えます。
その上で、一般有権者にとっては日々折々の政治判断や個別政策の方が現実的で比較
のし易いテーマとなりますので、常に日本一新の理念体系に立ち帰ってそこから導き
出した形で個々の見解や具体策を説明することが重要と考えます。
こうした一つ一つの積み重ねによって、理念が具体的な形で肉付け補強されていくと
共に個別判断や具体策の一貫性が明確となって信頼性も高まり、相乗的に日本一新の
改革が広く浸透して行くものと考えます。
小泉改革をビジョンなきもの、体系的な全体像のないものとして批判し、日本一新の
改革を主張する以上、その中味については、政治塾に集う塾生の後期課題になる様な
ものと位置づけるのではなく、党の責任において中高生でも分かるぐらい丁寧な形で
まとめ広く訴求をして行く必要があると考えます。
根本的な改革を成し遂げていくためには、制度や仕組みの変革だけではなく、国民の
心の改革が最大の鍵になるものと考えます。
その意味で、改革の全体像を分かりやすく示し、何度でも訴えながら広く支持を得て、
国民の信頼のもとに進めていくという姿勢が大切になるものと考えます。
◇
日本一新の中味と訴求ポイント−日本人の心と誇りについて
日本一新の骨格をなす「5つの指針」における第一項目として「日本人の心と誇りを
取り戻す」という指針が示されています。
例えば憲法や安全保障の論議に代表される様に、従来は政治の立場で国の根本理念や
社会の価値観に立ち入ることには反発も大きく、実際に政治の側でも及び腰な姿勢が
目立った様に思います。
その意味では、政治の立場で堂々と国の精神性、価値観に踏み込む姿勢を明確にした
「日本人の心と誇りを取り戻す」という基本指針は、非常に自由党らしいメッセージ
であり、尚かつ大きな強みでもあると考えます。
一方、本来的に強みであるこの指針がうまく国民に伝わっているか、支持を得られて
いるかと言えば、その強みが十分には活かされていない状況にある様に思います。
果たして「日本人の心」とは、「日本人の誇り」とはどういうものなのか。
また、どの様にしてこの「心と誇り」を取り戻すのか、その具体策について。
昨年1月の政治塾集中講義においても、質疑の際に塾生から真っ先に上がった質問が
この項目でした。
そしてその時の答えは、「愛」というものでした。
確かに「愛」も重要な一つの要素だと思いますが、これでは党が言わんとする中味、
せっかくの指針の全体像を理解してもらうことは難しいものと考えます。
第一項目に掲げた指針の中味を、国民、有権者の心に深く響く様な形で分かりやすく
まとめて的確に訴求していくことは、自由党らしさを明確にして政権獲得の支持基盤
を広げる意味においても、また、実際に政権を獲得した際に国民意識の変革を進めて
新たな国の価値観を再構築していく意味においても非常に重要になるものと考えます。
*
かつての日本人は、日々「心」や「誇り」を意識して生活をしていたでしょうか。
そうではなく、日常の暮らしの中で、自然と向き合う「衣食住」の実生活に根ざした
形で価値観や精神性、すなわち「心」や「誇り」が育まれてきたものと思います。
そしてそれらは、言葉や風習などにも反映し文化を形づくってきたものと思います。
季節や自然に対する繊細な感受性、これは大自然への慈しみや感謝につながり、弱い
ものへの優しいまなざしやエコロジカルなライフスタイルに繋がったものと思います。
また、花鳥風月を愛でる心は、自然と一体になる中で生活のメリハリを味わう風流や
独自の美意識に繋がったものと思います。
更に、人智をはるかに越えた自然の営みへの畏敬は、人間よりも大きなものの存在を
確信させ、時に高い理想へ一身をゆだねる高度な公私関係の基礎になったものと思い
ます。
自然の渾然一体とした様に美を感じつつ個々の活き活きとした生にも目を向け価値を
見出す関係性の捉え方=秩序意識は、様々なものを受け入れながら大きな調和を図る
日本独自の超調和主義へと繋がり、それを支える究極化=高度で普遍的な理想主義を
生み出したものと思います。
(例えば、日本は無宗教の文化とも言われますが、八百万の神を崇めるに際しても
無原則に何でも有りとしたのではなく、個々の神々や宗教の上位にそれらを包含
する大法則を究極化した形で見出して、“天の法則=お天道様のもとでは全ての
神々がそれぞれの立場で役割を果たす有り難い存在である”との捉え方に基づき
高度に昇華されたものであり、本来は「超宗教」の文化と見るべきと考えます。)
日本人の心や誇りを再認識し取り戻すためには、先人の知恵や蓄積が豊富に詰まった
衣食住や言葉、風習などの生活に根ざした形で、観念的にではなく体感を通じて温故
知新に取り組んでいくことが重要になると考えます。
*
「衣」「食」「住」の一番最初にあげられる「衣服」。
衣服装いは、それぞれの人々や地域、国の文化、すなわち価値観や美意識、心の在り
様と密接に関わり、相互に影響を及ぼし合う関係にあります。
そして日本の伝統的な価値観形成の土台となり、同時に和の心を表現してきた装いは、
まさに和の服“きもの”に他なりません。
「襟を正す」「折り目正しく」「辻褄が合う」などの言葉にも、きものから育まれた
感性、文化が残っています。
衣服、装いの持つ文化的意味合いやメッセージ性の強さは、アフガニスタン暫定行政
機構カルザイ議長のスタイルとその影響事例が参考になるものと思います。
(ヴォーグ誌では「もっともエレガントな男性」の1位に選出。
また、グッチではカルザイテイストの新たなモードを開発中とのこと。)
自国の文化に誇りを持ち、伝統的なスタイルを時代にあったインターナショナルな感
性で着こなすカルザイ氏の装いは、世界に対してアフガンの文化性を発信すると共に、
自国民に対してもアイデンティティの確認と誇りの再認識をもたらそうとする政治的
メッセージであったと考えます。
日本においても、明治初期、紋付き羽織袴にブーツスタイルの特命全権大使岩倉具視
に率いられ西洋を巡った「岩倉使節団」は、その立ち居振る舞いやマナーの優雅さ、
品格から、各地で大歓迎されると共に深い尊敬を受けたと聞きます。
国独自の価値観をもちつつ、それを普遍的な価値観として発展昇華させていける様に
国際的な提案、訴求を行っていくこと。
こうした中に誇りは生まれ、新たな国際的な枠組みが生まれていくものと思います。
そうして、その動きを先導して行くことこそが21世紀における日本の役割であると
考えます。
私は、「日本人の心と誇り」を見つめ直し、それを現代に再構築し、普遍的な価値観
として世界に発展させて行く意味において、伝統の衣文化=きものを通じて、衣服を
身に付け装うという生活に根ざし身体感覚を伴った形でアプローチをしていくことが
非常に有効な手段になるものと考えます。
◇
日本一新の中味と訴求ポイント−情報政策の柱と位置づけについて
経済再生や社会構造の改革という意味においては、「フリー、フェア、オープン」に
象徴される「自由と自己責任」が日本一新の大きな柱になるものと思います。
そしてこの改革は、制度や仕組みの変革だけで成し遂げられるものではなく、最終的
には個々人の心、意識の改革が不可欠になるものと考えます。
この意識改革をいかに進めていくか、これが日本一新を推し進めていく上において、
また日本一新を掲げ政権を目指す上において最大の課題になるものと考えます。
*
「自由と自己責任による自立」は、1993年の段階で、小沢党首によって著された
「日本改造計画」において明示された改革のアプローチです。
当時はバブル崩壊後とはいえまだ経済に余力の感じられた段階であり、改革への切迫
感が広がらなかった状況があると言えるかも知れません。
しかしながら、あれから9年の歳月が流れ、経済のみならず社会全体にまで閉塞感や
崩壊の危機が及ぶ状況に至ってさえ、依然として根本的な改革への支持が広がらない
現状とその根本原因を再考してみる必要があると考えます。
それは「怖れ」「恐さ」「不安」であり、現在の構造における既得権者のみならず、
本来は改革により飛躍の可能性が大きく広がるはずである多くの一般市民層までもが、
「フリー、フェア、オープン」の改革を、自分達の未来に明るい希望をもたらす歓迎
すべきものとは感じていないからであると考えます。
そしてこの点が、今後如何に日本一新を推進していくかの鍵になるものと考えます。
例えば、今春実施されるペイオフの解禁は、規制緩和、業界横並びの廃止、競争促進、
自由と自己責任という意味で、基本的には「フリー、フェア、オープン」の改革方向
に適ったものであると考えます。
しかしながら現実の問題として、これによって生活の質が高まるか、一度銀行の経営
破綻が起きた際に混乱や齟齬が生じないか、自らの自由な選択の結果だからと責任を
甘受できるか… と考えるならばそうした状況にはなく、現状においては“自己責任
という名の公的無策の押しつけ”とさえ言えるものと思います。
現状における金融機関の情報開示状況、マスコミ/ジャーナリズムにおける報道状況、
個人レベルでの情報収集環境格差などを勘案するならば、負うべき結果責任の差は、
選択の賢明さというよりも運不運による度合いが大きくなりかねません。
こうした状況では、市民の怖れや不安も決して甘えや杞憂によるものとだけは言えず、
市民に結果責任を伴う選択を求める以上、責任感ある政治の立場ではそれに見合った
情報面での環境整備が必須になるものと考えます。
*
そもそも規制緩和による自由と自己責任は、市民にとって、チャレンジの垣根を下げ
フィールドを広げつつモチベーションを高める意味合いを持ちますが、チャレンジの
種や創造そのものを生み出したりサポートするものではなく、責任は厳然と増します。
「フリー、フェア、オープン」の改革に伴う怖れや不安を抑えつつ、希望や活き活き
としたチャンス拡大への期待感を醸成し改革の機運を高めていくことが重要であり、
その裏付けとして「情報」が決定的な役割を持つものと考えます。
自分で選択をして、その選択の結果に責任を持ち、その中で自分の可能性を追求し、
高度な自己実現を図っていくという自律自己責任型ライフスタイルへの変革、意識の
改革においては、情報の活用力、すなわち「情報リテラシー」が必要不可欠なものと
なります。
情報リテラシーとは、情報をうまく収集咀嚼し、情報を的確に発信表現し、また相互
コミュニケーションを通じて情報価値を高める中で、確かな選択を行うと共に新たな
創造を行っていく能力のことを言います。
・情報を受け取る力
情報の的確な検索収集能力の他に、情報の真偽や意図的な誘導表現を見抜く力。
情報を分析整理して体系化する力。
・情報を発信する力
自分自身の考えや気持ちを分かりやすく伝える力。
電子メールでコミュニケーションをする能力。
ワープロ等を使い文書としてまとめる能力。
ホームページを作り情報発信をする能力。
これらを効果的に行うために、文字情報の他に画像や音声等を用いて表現する
基礎的な能力など。
・情報の受発信を通じて他者と交流し創造する力
先の能力を踏まえて、他者と交流し相互刺激の中から共感を深め、新たなもの
を創造していく力。
他者や集団の中でのコミュニケーションにおいて、いかに関係づくりを行うか
という、思いやりや心くばり、個人の自由とコミュニティ内における義務制限
のバランス等を心得て交流する能力。
これらの交流を通じて、価値を創造する能力。
こうした情報リテラシーとそれを活かせる環境があって、はじめて「フリー、フェア、
オープン」の社会が希望とチャンスに溢れたものになると考えます。
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日本一新の「5つの具体策」における情報化施策は取り下げになったとのことですが、
・世界に誇り得る日本型経済モデルを築くため、携帯型インターネット接続機器
(モバイル端末)を全国民に無償配布します。
というかつての施策に代わる自由党の情報政策の理念や骨格は未だ提示されていない
状況と思います。
1993年「日本改造計画」発刊の当時と大きく状況が変わったのがこの「情報」の
分野であり、そしてこの変化は「自由と自己責任による自立」という理念の具現化を
手段や方法論の面で強力に支え後押しする歓迎すべき意味合いを持つものと考えます。
今あらためて、日本一新=「フリー、フェア、オープン」の改革と「情報化推進」を
不可分のものと位置づけ、枝葉の施策ではなく情報政策の幹となる骨格を明確にする
ことが最重要課題であると考えます。
具体的には、「情報アクセスを国民の権利と位置づける」こととし、
・情報公開の促進、説明責任の徹底
・広帯域情報ネットワークの整備とこれへの無料接続
以上の二つを柱に、情報化社会の構築に向けて大きく舵を取ることが重要と考えます。
これにより個々人の情報リテラシーの習得向上を図り、またそれを活かす環境を整備
充実させ、活き活き自己実現社会の基盤をつくることが出来るものと考えます。
*
また、「隗より始めよ」ということで、自由党が自ら積極的に情報を活用して政治の
新たなスタイルを提案していくことも重要と考えます。
国民、有権者の多くは決して政治に無関心な訳ではなく、何らかの形で関わりたい、
専門や独自の視点を活かして役割を果たしたい、世の中を変える動きに参画をしたい
との意識が強くなっているものと思います。
今後は、国民、有権者と政治家、政党との間で新しい形の信頼の関係性、また共感の
関係性を築いていくことが重要になって来るものと考えます。
象徴的な施策として、インターネットを活用した双方向のコミュニケーションにより、
党所属の議員とブレイン=共感有識者、支持者/有権者の間で様々な立場からの議論、
相互交流を図り、共感の質を高めつつコラボレーションを進めていくネットワークの
構築運営などが考えられます。
こうした場において塾生にも参加の機会を与えることで、様々な刺激により実地訓練
的な形で知見を高めつつ、将来の候補者予備軍として支持者やサポーターの和を広げ
るなどの動きも出てくるものと思います。
ひいては、候補者の選出課程と支持母体確立の課程を同時進行させるという、新たな
公認候補者選定プログラムにも発展し得るものと考えます。
情報活用の成功事例、自己実現や社会変革の大きな可能性を示していくことも政治の
役割であり、日本一新の効果的なプレゼンテーションにもなるものと考えます。
野党の立場にあって根本の改革、すなわち国民の意識改革を目指すということは、
・改革志向の野党は、現状=国民の意識を変えるために政権、多数派を取りたい
・一方で、国民は怖さから変わりたくないので与党を選択、変革の容認は少数派
・もし野党が政権を取れるとすれば国民の多数派が変革を容認した段階となるが、
その時既に野党の政権獲得目的=国民の意識改革は達成されていることになる
・すなわち、野党の立場では根本的な改革を実現することは出来ない
というアイロニカルなディレンマにチャレンジをすることになると思います。
理論と現実は、時に“勢い”という要素から時間軸の上で一瞬の逆転現象をもたらす
場合があります。
「フリー、フェア、オープン」の改革は決して怖いものではなく、楽しく、面白く、
希望に満ちて、自己実現の可能性が広がるものである点を的確に訴求すること。
そして、改革への期待感をムーブメントの盛り上がりへと高め、変革の容認が国民の
多数派に広まるまでの期間を待たずして、共感の結集により政権獲得に繋げること。
日本一新達成の鍵はここにあり、自由党の役割と責任は大きいものと考えます。
以上 |