米沢日報 1997.06.15
'97 企業戦略2 鈴源織物(有)…米沢市
米沢から世界に向け発信
― インターネットで事業体制確立 ―
ホームページのアクセスは一年半で一万件
鈴源織物社長付の長根英
樹三十一歳。昨年末まで東
京のPR会社でインターネッ
ト関連の研究開発セクショ
ンに所属していた。鈴源社
長鈴木博の次女と結婚し、
現在、鈴源織物の企画、営
業サポートと併せインター
ネットのホームページを利
用した新たなコミュニケー
ション展開を模索している。
平成七年、長根は鈴木に
ホームページを利用した新
たな事業展開の可能性、先
進企業の対応状況等ネット
ワーク社会に向かう潮流を
説明した。「やってみよう」。
社長の鈴木は答えた。新し
い試みに対する社長の決断
は早かった。米沢は織物の
町。昨今の業界和装部門の
経営環境は厳しい状況にあ
る。きもの離れが進
み新規顧客の開拓を
迫られていた。流通
側のみに頼っていて
はいけない。メーカー
として自ら何かしな
くては。情報訴求も
既存の専門誌だけで
は裾野の広がりに限
界を感じ、新たな方
法を模索していた時
期と合致した。
そんな中でのホー
ムページの提案だっ
た。鈴源は平成七年
の十一月、米織で初
めてホームページを開設し、
全国でも織物関連企業とし
ては先駆けとなった。
置賜でもインターネット
ホームページを開設する企
業が増えているが、製作費
用が一ページ当たり五万か
ら十万と高額であるため、
まだまだ普及しているとは
言えない。費用対効果を見
ると、成功している企業は
少ないかも知れない。
ホームページの製作
費用だけでなく、定
期的なメンテナンス
(情報更新)にも更
に費用がかかり、開
設して見たもののや
めてしまった企業も
ある。
長根は、鈴源のホー
ムページ作りは自前
でやり、必要最小限
の設備投資で開設しようと
考えた。用意したものは、
マッキントッシュのパソコ
ン、モデム、スキャナー等
合わせて三十万にも満たな
い金額の投資である。日中
の仕事を終えて、夜中参考
書を片手にこつこつと製作
を始めた。できたものから、
ホームページとして即ユー
ザーが参照できる様にして、
現在二百ページの規模にま
で成長した。
鈴源のホームページ開設
の記事が、日経産業新聞に
載った。早速京都の商工会
から問い合わせがあった。
京都の西陣織物と言えば、
織物では歴史的に日本では
大きな力を持つ産業である。
その後も、商品、技術の問
い合わせ等、愛好家、小売
店、大学教授その他の各方
面から直接、間接の反響が
あった。ホームページを開
設して以来のアクセス数は、
一年半で一万件を越えた。
鈴木は、現在のホームペー
ジによる効果に充分メリッ
トを感じている。
鈴源は、平成三年アンテ
ナショップとして、工場の
向かいに直営の織絵夢人館
を開設した。地元、観光客
を対象にきもの、織物に接
する機会を提供することを
目的としている。若い女性
スタッフの感性をバックや
小物などの製品に活かし、
手頃な値段から米織に接し
てもらえるよう工夫してい
る。また、従来の米織には
なかった織上り後の染色加
工により、米織独特の風合
いを活かしつつ、フォーマ
ルとしてオリジナルの優雅
な色柄を堪能できる友禅の
オーダーメイドも受け付け
ている。
インターネットは万能で
はない。織物は微妙な色目、
さわり心地が購入の重要な
要素となる。加えて作り手
の思い、こだわりへの共感。
やはり最後は顧客との心と
心の触れ合いを大切にした
いと考えている。
現在、長根を中心に今の
時代に合う新しいきものス
タイルの企画を行っている。
米沢織物の原点は、絹麻の
武士の裃である。以来男の
きものを中心に発展し、現
在袴の生産量では全国の九
五%を誇っている。もっと
気軽にきものを着てもらい
たいとの発想から、鷹山公
の銅像でも馴染みある足元
をすぼめた袴を現代調にリ
ファインした。足捌きが容
易で車の運転にも便利な活
動的な袴である。
日常の生活の中でもっと
きものを活用してほしい、
きもののすばらしさを再発
見して欲しい、これがホー
ムページ公開の動機である。
ここにはまたインターネッ
トという独自のメディアを
縦横に使って、新たな事業
体制を確立し米沢から世界
に向け発信していきたいと
する鈴源の企業戦略が見え
てくる。
▽代表取締役 鈴木博 ▽
会社設立=昭和二六年五月
▽年間売上高=一億八千万
円(平成八年度) ▽事業
内容=和装織物の企画・製
造・販売、和装・和文化・
絹関連製品の啓蒙、販売
▽従業員二十名
(取材成澤礼夫米沢日報社長) |