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今般の皇室典範改変の議論を見ていますと、伝統を重視する立場を表明
する男系派からも、
・女性天皇容認(女系天皇には反対だが、女性天皇は問題なし)
・終身在位の否定(生前譲位の容認)
・改元の制限
などの主張が聞こえてきます。
明治の皇室典範制定の議論、皇室典範に込められた精神を省みることな
く、“過去に例があった”ということを根拠に現典範の改変を考えるこ
とは、政府、有識者会議の姿勢と同様に歴史、先人の積み重ねを軽視す
る、伝統破壊の所業になるものと考えます。
男系男子による継承の原則は、明治期になって明文化されたものの、そ
の確立は、更に110年、1779年の光格天皇の即位にまで遡ること
が出来るものと思います。
先代の後桃園天皇崩御の後、残された子は女子の欣子内親王だけという
状況でした。【系図参照】
(現在は、敬宮内親王殿下の他に、秋篠宮殿下がいらっしゃいますので、
当時の方がはるかにせっぱ詰まった状況であったと思います。)
しかしながら、唯一の直系子孫として欣子内親王が女性天皇として即位
することはせず、先代、先々代…と遡り傍系の男子である光格天皇が即
位し、欣子内親王は光格天皇の皇后となりました。
この事例は、皇位を直系で専有することなく、傍系の他家に譲って男系
男子で皇位を継承していく「系統継承」の意味合いを示しているものと
考えます。
過去に女性天皇の例がありながら、なぜこの際にこうした事例が採用さ
れなかったのか。
明治の皇室典範は、こうした事例、歴史、先人の判断の重みを十分に踏
まえた形で制定されたものであり、この典範の精神をよく吟味し、様々
な伝統、事例の中から、何を守り、何を変え、いかに発展洗練されてき
たのかを読み解くことが重要と考えます。
これにより、自ずと今の時代における皇位継承のあり方が明らかになっ
てくるものと思います。 |
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