和の国、和の心 ― 天皇陛下と日本 | ||||
『和の国、和の心 ― 天皇陛下と日本』 2005.02.18 【日本が日本でなくなってきているという危機感】 日本が日本でなくなってきている、最近こうした危機感が広がりつつある様に感じます。 単に景気経済の良し悪しの問題ではなく、社会保険庁や道路公団など公務員の手前勝手 な公金の使途状況、三菱自動車や雪印乳業等にみられる人命安全を軽視した経営業務の 実態、温泉水のごまかしや魚肉米野菜等の虚偽表示など、今や官民、企業の大小を問わ ずあらゆる職場で職業倫理が崩れ、社会のモラルが乱れてきている状況が見られます。 「勝ち組み、負け組み」という言葉には今の世相が如実に表われている様に思いますが、 「勝ち組み」の裏に上記の様な、お金最優先の論理、内輪の組織の論理、私優先のゆが んだ競争原理、手段を選ばない騙したもの勝ちの市場経済の実態が透けて見えてくると、 勝ち組みへの不信、勝ち組みになろうとすることへの疑念が芽生え、そもそも日本らし い社会の在り方や幸福感とは何なのか、とあらためて問い直す動きが出始めている様に も見受けます。 「よーく考えよう、お金は大事だよー」と子供に歌わせるコマーシャルがあり、非常に 悪趣味なセンスを感ずるところですが、今の世の状況では「よーく考えよう、お金より 大事なものー」ということで、お金以前に大切にしなければならない価値にこそ焦点を 当てるべきであろうと考えるところです。 また、治安の面でも、凶悪犯罪の多発に限らず、人びとが憩う河川敷広場でのゴルフ練 習や公道での洗車、電車での飲食やゴミの不始末、携帯電話使用など、公私の区別やけ じめのない自己中心的な振る舞いによる基礎的な部分における社会秩序の乱れが目立ち ます。 社会の規範、社会道徳、公徳心、常識・モラルが崩れ、健全な常識をもってまっとうに 暮らしていくこと、社会生活を営んでいくことが難しい状況になってきている様に感じ ます。 過去最悪の水準にある自殺者の増加にしても、単に経済的な苦境だけではなく、従来の 価値観や生き方の基準が揺らぐ中での戸惑い、身の処し方の範囲を越えるものを感じて、 将来の展望が見えてこない中であきらめの境地に至っている現状が背景となっている様 にも思えてなりません。 本来こうした場合、責任ある立場にいるリーダーが率先垂範、信賞必罰により世の道徳 を建て直し、新たな価値観をつくり上げていく役割を担うべきであると考えますが、企 業経営の面においても政治の面においてもそうした確固たる動きが見えず、責任感の足 りなさや恥の概念の薄れを実感する状況です。 日本らしい安全性や安心感、金や地位に執着せずけじめを大切にし凛と身を律する美し い心、そうした美徳や良さがどんどん失われていく危機感を感ずるところです。 ◇ 【日本の在り方、天皇の在り方に立ち返って議論しない有識者会議の危うさ】 こうした中、皇位継承問題も含めて皇室典範の変更を検討する「皇室典範に関する有識 者会議」が首相の私的諮問機関として設置され、会議運営が始まりました。 そもそも、皇室典範を変え皇位継承に関わる根本的な在り方、すなわち万世一系の伝統 や原則、百二十五代続く継承の原理を変えるということは、皇室の在り方、天皇の在り 方の根本を変えるということであり、まさに日本の在り方、日本の歴史を変えることに 直結する非常に重要な、非常に厳粛な事柄であると思います。 しかしながら、実際の会議の方向、運営の在り方を見ても、そうした国家の在り方に関 わる超重要課題を扱うという気概や責任感が見えてきません。 後の国民的な議論を前提に、各方面から意見を聞き、論点を抽出整理して国会、国民に 提示する。こうした役割であれば私的な機関での検討でも良いかもしれません。 しかし政府方針としては、この有識者会議で秋までに結論を得、来年の通常国会に法案 を提出して成立を目指す意向とのこと。 こうした政府の姿勢や政治手法の是非、それ自体も大きな問題で議論の余地があるもの と思いますが一旦置くとして、もしそうした政治的意味合いを持つ会議であるならば、 しっかりとした会議日程、議論の総時間を確保し、少なくとも時間の面では不足のない 形を整え議論に取り組むのが筋ではないでしょうか。 それが、月一回程度、それも短時間(一、二時間程)の会合を秋まで十回程度開催する だけで結論を得るというスケジュールの想定は、扱う問題の重みをあまりにも軽視した 不真面目な取り組み姿勢と受けとめざるを得ません。 また、こうした国の歴史に関わる問題を扱い、法案に直結する結論を出す立場にあって、 議論を非公開とし各々のメンバーが自己の発言を明確にする責任を負わないというのは、 気概が足りないというだけでなくあまりに無責任な態度であると思います。 こうした真剣味を疑われる会議の運営状況であるに関わらず、会議のリーダーを務める 座長からは、以下の発言が聞こえてきます。 「伝統と歴史は十分勉強するが、歴史はわれわれがつくっていく立場で問題を検討する」 「有識者会議は学説を戦わせる場所ではいけない」 (天皇や皇族から直接話を聞くことについて)「想定していない。たぶんない」 「最終的に国民の平均的な考えで決める」 これらの言葉を耳にして、不見識という感想を通り越して破廉恥な態度と憤りを覚えた 向きも多かったものと思います。 本来は、国会に国会議員全員参加の特別委員会等を設置し、全議員が一人ずつ意見を表 明する形を取り、真の有識者を参考人として招致し意見を聞きながら、様々な角度から 議論を深め、全国各地での公聴会も開催して、数年間をかけて“天皇陛下と日本”に関 する国民的な議論を展開する中で、意見の集約を図り国民総意の結論を得るべき筋合い のものであると考えます。 現在のところ、この様な政府の姿勢、有識者会議の在り方に関して、強く反対して是正 を求め、根本の議論を提示し展開していこうという政党、政治家の動きは表立って見え てきません。 皇室の在り方、天皇の在り方、日本の在り方、日本の歴史に関わる大問題に、正面から 取り組もうとする政治家、国会議員の存在が見えてこないことに深い憂慮を抱くところ です。 今こそ日本の国としての在り方、和の国、和の心について、天皇陛下と日本について、 真っ正面から議論を行うべきときであると考えます。 皇位継承の問題、皇室典範の変更については、こうした大本の議論を行うことによって 自ずから答えが見えてくるものと考えます。 ◇ 【和の国、和の心 ― 世代を預かる意識】 日本の伝統的な文化、和の国、和の心の特徴として、お互いの立場の違いを尊重しつつ より上位に共通する理念を究極化して見いだし大きな調和を図るという超調和主義の思 想と、人と人との繋がりを大切にする点、自然との親和性の高い点等が挙げられるもの と思います。 各国各地域に、幾世代にも渡る命の繋がり、想いの繋がり、経緯に連なる人びとの喜怒 哀楽の積み重ねによって醸成された固有の伝統文化、文明が在り、こうした多様な蓄積 は非常に貴い宝、歴史の財産であると思います。 この貴重な伝統文化、文明、多様性を、地域立場の違いを越えて互いに尊重すること、 またこれらを先代から受け継ぎ、後世に向けて発展昇華させていこうとする人々の想い、 現世を生きるものとしての使命感に共感を寄せ、一緒に歩んでいくことが大切であり、 そのために大きな共通理念、究極の合意を探っていくことは、まさしく超調和主義の考 え方で和の心の在り様であると考えます。 人は誰しも幸せになりたいと願うものですが、他者に不幸な状況があったままそれと切 り放した形で自分だけがいつまでも幸せでいつづけることは出来ません。 個人の幸せを高めるためには、自助・互助・公助といった多層的な関係性や助け合いが 大切であり、他者、社会全体の幸福を高めることで本当の意味での自分自身の幸福の質 も高めていくことが出来ます。 こうした認識、日本人の幸せ観から、人と人との繋がりを大切にするという心が生まれ、 育まれてきたものと思います。 田をつくり米を主食とし、豆腐や納豆、味噌、醤油など大豆から植物性のタンパクを摂 取し、動物性タンパクは小魚や鶏など小動物を中心として、食用専門に飼育した牛肉等 の肉食を常としないという食生活、すなわち生態系のバランスを考えエネルギーレベル の低いものを中心とした食の設計は、みんなで食資源を分かち合いつつ持続的な生活を 営んでいく上で基礎となる非常に有効な方法論であったと思います。 他に、木を育て木を活かした建築や道具類の住生活、麻や樹皮の他に蚕を育て絹を用い る衣服繊維面の衣生活など。 精神的な豊かさの面でも、季節の移り変わりや花鳥風月など自然と親しむ中で自然の美 を繊細に感じ風流を楽しみ、自然を征服すべき対象とは捉えず、テーマパークなどの人 工物でなくてもレジャー(気分転換や心の豊かさ)を楽しめるという生活文化により、 物質的な価値よりも精神性に重きをなす価値観が生まれ、凛の心や自己抑制的な美意識 が育まれてきたものと思います。 自然から衣食住の物質的な恵みを受け、また自然を愛で心を豊かにする中で精神的な恵 みも受け、自然と親しみ大自然の法則に適ったシンプルなライフスタイルを営むことで、 持続的にみんなが豊かさを享受できる社会。 サステインナブル(持続可能)でエコロジカルな、自然との親和性の高い生活スタイル は、古来からの和の社会にそのモデルを見ることが出来るものと思います。 そしてこれらの伝統的な日本の文化、和の国、和の心の在り方を支える重要な価値観と して、“世代を預かる”という謙虚な姿勢が見いだせるものと思います。 アメリカの先住民族インディアン(イロコイ族)の教えとして、 「何事も慎重に事を進め、今自分たちが行う決定が七世代先の子孫にどの様な影響や 結果を与えるか深く考えて決断しなければならない」 という言い伝えがあると聞きます。 七世代未来の子孫のことを考えるということは、七世代過去に遡り先祖達がどの様な意 思決定をして今の自分たちの世代があるのか、先祖達が時代環境の変化の中で何を変え、 何を変えないで残し伝承してきたのかを考えることに他ならないと思います。 そしてインディアンのみならず、わが国日本には、一世代だけ、自分達だけの都合で物 事を考えることなく、実に百二十五代もの長きに渡って世代伝承を続けてきた尊い歴史 があります。 君民が想いを一つにし守り伝え、代を重ねる毎に伝承の英知を高めきた伝統。 伝承の真理が普遍のものであり、伝承の方法が適切で工夫のあるものであったからこそ 百二十五代にも渡って代を積み重ねてくることが出来たものと考えます。 無常の世、全てのものが移り変わり永遠が難しい世界にあって、それでも常なるものを 求め、それを伝え発展させていくことは、人類のテーマとも言えるものと思います。 普遍の価値や原理を探求し、それを時代や地域を越えても通用する価値としてどれだけ 洗練させてきたか、単なる概念としての価値ではなく、実生活に関わるライフスタイル、 統治システム等を含めて実運用を行ってきたか。 各国、各地域の文明はこうした点で評価されるものと思います。 日本、和の国、和の文化、文明が評価されているのは、百二十五代にも渡る長い歴史、 先人の積み重ね、蓄積に対する敬意の表れと考えます。 そして、幸運にもそうした尊い文明を引き継ぐ我々は、これを大切に守り、更に発展さ せ、広く伝え共有していく責任があるものと考えます。 (※和の国、和の心について詳しくは、「和の心による国づくり」参照 http://nagane.kimono.gr.jp/hideki/messages/26_title_msg.html ) ◇ 【直系優先の相続でない点が大きな特徴 ― 日本の皇位継承、万世一系、男系継承】 建国記念の日の由来、すなわち初代の天皇である神武天皇が即位したと伝えられる日と しての二月十一日の位置づけを鑑みても、日本人の心において天皇が存在しない日本国 の歴史は考えられず、和の国、和の心の在り方と天皇の在り方は相互に密接に繋がる関 係にあって発展してきたものと思います。 また、天皇の在り方において、天皇が天皇たる由縁を定める皇位継承の問題は非常に重 要であり、天皇の在り方の根幹をなす法則、原理といえるものと思います。 よって、和の国、和の心の在り方と皇位継承の在り方は密接に繋がり、世代を預かると いう和の価値観は皇位継承の在り方、天皇の在り方においても組み込まれ、体現されて きたと考えるべきであると思います。 こうした観点からあらためて日本の皇位継承の在り方、原理を捉えるとき、“直系相続 主義(直系最優先)でない”という大きな特徴が見いだされるものと思います。 皇位継承の在り方については様々な観点からの議論があり、万世一系や男系継承の他に、 女性の天皇(男系女子)は過去にも存在したが女系の天皇は未だかつて存在しない、初 代天皇の遺伝情報(Y染色体)を引き継ぐ継承――などの説明がなされています。 これらは同じ伝統の原則についての説明ですので、説明の方法論は違っても最終的には 同じ方向、結論に収斂するものと思います。 私も、同じ原則に基づき同じ結論にたどり着く議論ですが、“直系相続主義(直系最優 先)でない”という観点から皇位継承の在り方を考えてみたいと思います。 各国の王位の継承をみたとき、特に欧州では現在においては直系相続が主流になってい るものと思います。 男子優先とされるイギリス王室においても、直子の中で長系である女子よりも男子に優 先権があるということであり、直系相続の枠を超えて男子を優先するという在り方では ありません。 いわば、直系最優先、直系の中で長系よりも男子優先という形になろうかと思います。 例えば、チャールズ皇太子の二人の王子の子供の王位継承でシミュレートしてみるなら、 長男のウィリアム王子に女子しか生まれず、次男のヘンリー王子に男子がいた場合。 ウィリアム王子が国王に即位した後、直子である女子を越えて傍系である弟のヘンリー 王子やその直子である男子に王位が移ることはありません。 国王の直子、直孫が男女に関わらず、女子であっても傍系の男子に優先して王位を継承 するという意味で、まさしく直系最優先の継承原理であります。 しかし、日本の皇位継承の原則でみるならば、仮定の話とはなりますが、ウィリアム国 王の直子である女子ではなく、弟殿下のヘンリー王子、その直子の男子に継承権が生じ ることになります。 長系との比較で男子が優先されるのみならず、直系との比較においても(傍系の)男子 が優先されることになります。 男子優先の継承の在り方を見るとき、対長系比で見るだけでなく、対直系比でも見るこ とが重要で、日本の場合は、対長系比、対直系比いずれの場合でも男子が優先される継 承の在り方であり、直系の子孫であることよりも男子であることが優先される継承とな ります。 すなわち、現役の国王といえども自分の子供に王位を継承することが出来ない場合があ るというのが、直系相続主義(直系最優先)ではない日本の皇位継承の大きな特徴とな ります。 欧州の国王がこうした日本の継承原則を知るならば、驚きというよりも大きな脅威、リ スクを感じるのではないでしょうか。 なぜ日本はこの様な直系最優先でない継承の在り方をとってきたのか、これを考えるこ とで天皇の在り方、そして今後も守るべき皇位継承の大原則が見えてくるものと思いま す。 日本においても、歴代天皇も、自分の世代、自分の家族をかわいく思い、子供が男でも 女でも、女しか居ない場合であってもその子に即位をさせたい、あるいは養子をもらっ てでも他家に移すのではなく自分達の近いところで相続をさせていきたいという人情、 親心を持っていたものと思います。 しかし、歴代天皇は私情を抑えて、直系最優先ではなく先代に遡って他家の男系男子に 皇位を継承させてきました。 現役天皇といえども直子に相続をしない、させられない。この様な形で直系相続を否定 してまでも大切にした原理、価値観とはどういうものであったのか。 それは、皇位自体が先代、先々代からの預かりものであって、天皇といえども自分の世 代で自由に私(わたくし)出来るものではない。伝統、ルール、一定の条件に基づき、 その範囲内で継承すること、役割を遂行することを許されたものであり、何をやっても 良いというものではない。こうした考え方であったものと思います。 あえて直系相続(直系最優先)ではなく男系男子という制限を設けることで、何世代か 毎に直男子、直男孫の不在により先代、先々代に遡って傍系に皇位が移るという仕組み をつくり、その際に君民ともに先祖から受け継ぎ未来へ繋ぐという皇位の意味、役割と、 それを積み重ねてきた万世一系の重みを再認識し、天皇への想い、国を大切にする想い を一層強めてきたものと思います。 これに対して、直系相続(直系最優先)の王の場合、王位を自分の家族、自分の世代の 既得権と捉え、短い歴史感覚の中で私意が優先される傾向が生じてくるものと思います。 日本の様に何らかの制限により直系相続が許されない場合がある継承制度では、皇位、 王位も既得権ではなく、先代から預かる立場であるという役割認識と責任感、抑制的な 美学が生じてくるものと思います。 こうした相続意識の違いは、君の側だけでなく民の側も同様に感じ、私優先でない君を 誇りに思い守っていこうという意識も強くなるものと思います。 一方、直系相続(直系最優先)で王位を既得権の様に君民が感じ始めると、王の存在、 在り方の根本が問われる状況が生じやすくなり、長期に渡る継承が難しくなり、王政の 廃止や王朝の交替を招きやすくなるものと考えます。 日本の皇位継承は、まさしく和の国の在り方、和の心の在り方に則り、世代を預かると いう価値観のもとで、天皇といえども私情を優先して直系(直子)に相続をすることが 出来ない場合があるという規定を設けることで、先祖から受け継ぎ未来の子孫に繋いで いく役割認識を君民ともに実感、確認できる制度として確立運用され、守り続けられて きたものと考えます。 日本の凛と身を律する抑制的な美学は、皇位継承の在り方とも相まって世代を預かると いう意識の中で育まれ、そうした私(わたくし)優先でない天皇の在り方に民は共感と 誇りを感じ、まさに君民共治、君民一体となってこうした国の在り方を守ってきたもの と思います。 それ故に百二十五代という世代の積み重ねの歴史に重みがあり、他国、他の王室からも 尊敬を受ける誇るべき存在、資産になっているものと思います。 先祖代々に渡って、君民、人びとの生命の連鎖、想いの連鎖によって育まれてきた普遍 の価値、日本、和の国、和の心の在り方を、今の世代として預かり、更に発展洗練させ て未来に継承していく役目、それを君民共に今の時代に生きるものが負っているものと 思います。 天皇、皇位の継承はまさにはその象徴であり、今の世代の都合で左右することは断じて 許されないものと考えます。 ◇ 【シビリアンコントロールと天皇陛下】 シビリアンコントロールというと、軍を対象に考えて軍に対する政治の優位という形で 捉えるのが一般的であると思います。 しかしその本質は、国民が選んだ政治家が国権の最高意思決定機関である国会を通じて 内閣総理大臣を選び統治を行っていくことの重要性と、その際の意思決定、権力行使に おいて、軍部に限らず他の支配を排することにあるものと考えます。 戦前は、軍部大臣現役武官制により軍の側が大臣を出さないことで組閣を妨害し、民主 的に選ばれた総理大臣の権能を越えて内閣の命運を左右するという事態が生じました。 こうした反省を踏まえて、現法律体系においてはそうした民主的統治の優位をゆるがす 抜け穴のない様にシビリアンコントロールが保たれているということで大方の理解が共 通しているものと思います。 ここで、天皇陛下と民主的統治との関係でシビリアンコントロールを考えてみたいと思 います。 例えば、内閣総理大臣は国会の議決により選任されますが、天皇陛下が親任することで 正式に総理大臣に就任することになります。 各大臣についても、内閣総理大臣が任命し天皇陛下が認証することによって正式に大臣 に就任し、内閣が正式に発足することになります。 仮に天皇陛下が総理大臣を親任しない場面、大臣を認証しない場面が出てきたら、現在 の法律体系でシビリアンコントロールの対処方法があるのでしょうか。 仮に天皇陛下が国会の開会を宣言しない場合、国会自体を開くことが出来るのでしょう か。 現在不備がないと思われているシビリアンコントロールも、天皇陛下との関係で考える ならば大いに抜け穴の多い法律体系になっているものと思います。 また、そのことに関して改めようとする動きは全く見当たりません。 これは何故なのでしょう。 私はこうした現状を不自然とは考えません。 シビリアンコントロールという民主政治の大原則において、殊天皇陛下との関係では大 きな不備が存するというのは事実であると思いますが、それを越えてなお現状を是認で きる絶対的な信頼感が国民と天皇陛下との間にあるものと思います。 すなわち、天皇陛下がむやみに民主的統治の枠を越えて、総理大臣を親任しない事態や 大臣を認証しない事態、国会の開会を宣言しない事態等が起きるはずがない。 もし、仮にその様な事態が起こったとするならば、国民が絶対的な信頼を寄せる天皇陛 下の大御心に沿って、内閣の総辞職、国会の解散総選挙など国会一新により、あらため て民主統治の基礎となる国民と国会の信頼確立を行うべきだ、との考え方です。 現在は象徴天皇制ともいわれ、君主か否かといった議論もあるところですが、こうした 議論に関わらずこの象徴という意味合いは非常に重く、天皇陛下の意向で内閣の命運を 左右したり、国会の開会自体を左右することが出来るという側面を持ち、国民の絶対的 な信頼を前提とした在り方、国体となっている点を認識する必要があるものと考えます。 ◇ 【皇室運営を皇室、天皇陛下のもとにお返しを】 シビリアンコントロールの大原則を越えてなお、天皇陛下に絶対的な信頼を寄せる現在 の体制、法律体系でありながら、細かい皇室の運営に関わる部分においては皇室典範等 による過剰な規定、関与があるという矛盾がみられる様に思います。 日本においては現行の法律以前に天皇が存在し、天皇と国民との信頼関係のもと国の在 り方、国体がつくられ守られてきた経緯がありますので、憲法を含めて各種の法律をつ くる際の前提となる国家としてのビジョン、国家の普遍の価値観として、天皇の存在や そうした伝統への尊重があるものと思います。 今こそ、こうした国の在り方、天皇陛下、皇室と国民との信頼関係に立ち返って、国民 の側が法律で皇室の運営、天皇の在り方について関与する部分と、従来同様信頼のもと に皇室、天皇陛下のご判断、運営にお任せする部分とを区分けして、皇室運営を皇室、 天皇陛下にお返しするべきであると考えます。 また、皇室、天皇陛下が行う諸行事についても、政教分離の狭い枠で捉えるのではなく、 国の行事と位置付けるべきものはしっかりと位置付け、国民一体で伝統を強めていく努 力を進めていくべきであると考えます。 具体的には、皇室典範等を改正し無用な国民、法律の関与を改めるべきと考えます。 皇室、天皇と国民との信頼関係の基礎となる皇位継承に関しては従来同様、直系優先で はなく万世一系の男系継承とし、男系男子による継承とすることが重要と考えます。 こうした大本が確立されるならば、それ以外の部分で国民、法律が関与する必要性は少 なく、国民が選んだ内閣総理大臣を議長とする皇室会議を適宜運営していくことで、皇 室と国民との関係は良好に保っていけるものと考えます。 例えば、皇位継承の順位についても、男系男子の大前提が保たれるのならば、基本的な 順位付けの取り決めがあったとしても、場合によってそれを越えて天皇陛下のご判断に 基づき適切な皇位の継承を行うことは十分にあってしかるべきものと考えます。 皇位の継承は、先代から引き継いできたものを大切にして次代に伝えていく重要な意味 合いを持ちますから、天皇陛下の高い立場からのご判断に基づき、皇室の伝統を正しく 継承できる後継者に皇位を継承していくということは当然のことであり、歴代の天皇と 天皇を支えてきた民、日本国の歴史に対する責務でもあると考えます。 天皇陛下が実質的な裁量権をもって皇位継承を行える様、廃太子や男子皇族の臣籍降下 等も含めて皇室典範の規定、国民関与の在り方を改めるべきであると考えます。 皇位継承順位に関わる一定の目安、規定の有無に関わらず、実質的な意味で後継の指名 権は歴代天皇にあったものと思いますし、天皇の意思を越えて天皇が最も後継に相応し いと考える皇位継承者以外に皇位の継承を許す様な体制はあってはならないものと考え ます。 過去に遡っても、生まれたときから天皇になることが法的に約束され、現役の天皇の意 を越えてまで皇位継承順位一位のまま居続けられる状態にある皇太子、すなわち廃太子 のおそれを一顧だに持たない歴代皇太子はいないものと思います。 もしこうした状況が生まれるなら、天皇と皇位継承者の基本的な信頼関係に重大なゆが みが生じ、年齢差を最大の武器に時の過ぎるを待ち自分の即位の時を待つという非常に 不健全な関係が生じかねません。 本来、皇太子の第一の役割は、天皇の考えを正しく理解し、天皇の意に添い、天皇の意 を体現すべく皇族をまとめ皇室を正しく運営(天皇を補佐)していくことにあるものと 思います。 今上陛下は皇太子時代、毎週金曜日は家族で御所に陛下を訪ね一緒に過ごされる時間を お持ちになられたとのことです。 こうした日常的な関係性の中で、陛下の意思、考え方、帝王学、仁の捉え方を体得され てきたものと思います。 天皇に評価され後継として認められる存在であり続けることが大切であり、日本の皇太 子という地位は、決して固定的なものでも、権利として与えられる様なものでもなく、 天皇の意に沿わない場合は、長男といえども立太子出来ないこともあり、また皇太子と なった後でも廃太子となることもある存在と考えます。 天皇陛下は昨年末の天皇誕生日文書回答において、現在の皇室の在り方、各家との関係 の在り方、宮内庁の在り方に関して以下の様なお考えを示されました。 「私も皇后も、相談を受ければいつでも力になりたいと思いつつ、 東宮職という独立した一つの職を持っている皇太子夫妻の独立性を 重んじてきたことが、これらの様々な問題に、気が付くことの できない要因を作っていたのだとすれば大変残念なことでした。」 こうしたお言葉を真摯に受けとめ、天皇陛下が天皇の責任と裁量によって的確に皇室を 運営していくことが出来る様、皇室運営の在り方、各家との関係性の在り方を改めるべ きと考えます。 宮内庁の在り方や組織体制も、全ての職員が一義的に天皇陛下に帰属意識や忠誠心を持 ちつつ各持ち場に当たる様な形に再構築することが重要と考えます。 また、各家の指導、宮家の創設や廃止等に関しても、宮家維持に要する国家支出を一定 の限度に抑えるという基本を踏まえるならば、その範囲において天皇陛下のご判断によ り人事や予算配分等の面で臨機応変に対処できる様改めるべきであると考えます。 例えば、男子の跡取りの生まれた宮家に予算を増額することなどは、各家の役割意識、 責任感を喚起し、宮家の維持、皇室の安定に繋がる意味を持つものと思います。 こうした天皇陛下の裁量、主体性を高めた皇室運営の在り方になるならば、皇族全てが 天皇陛下の意に心を沿わせるべく努めるようになり、「昨年の5月ごろからこちらへの 訪問がほとんどなくなり…」といった御所からの疎遠も起きようがなくなるものと思い ます。 そうして、この様な中から天皇陛下に認められた相応しい皇位継承者のみが皇位を継承 することになるものと思います。 ◇ 【現在の皇位継承論議の問題点】 現在皇室には、今年四十歳になられる秋篠宮殿下より年若の男子皇族がいらっしゃらず、 確かに万世一系の男系継承が難しくなってきている状況があるものと思います。 しかしながら、皇太子妃殿下、秋篠宮妃殿下ともに年齢的にご懐妊、ご出産される可能 性の十分にある状況であり、医学の進歩もありますので、今は両妃殿下のご懐妊、親王 殿下の誕生を静かに心待ちにするのが本来の在り様と考えます。 今後、一人とはいわず、二人、三人と親王殿下の誕生を期待し、その親王殿下方にお若 い内にご結婚いただき、次代の子孫をおつくりいただく中で、安定的な男系男子による 皇位継承の基盤をおつくりいただくのが理想と考えます。 一方で、万一の事態を想定して次善の策を考える意味では、現代にふさわしい側室制度 の在り方や皇籍離脱した旧宮家筋(子孫)の皇籍組み入れなども検討する必要があるも のと考えます。 もし天皇皇后両陛下の強いご意志があるとすれば、陛下に側室をもうけていただき、皇 子親王殿下の誕生を願う場面もあり得るものと考えます。 今回の状況を踏まえ、将来的な安定性を考慮し、皇位継承者の減少や不在の危機を回避 する策としては、宮家が増えすぎた場合の皇籍離脱をゆるやかに経過的に行い、税金支 出はないものの皇位継承権は有する準皇族といった位置づけを検討することも重要と考 えます。 仮にその次の策として男系女子による皇位継承の可能性を考えるとするならば、単に過 去に例があるからという視点で捉えるのではなく、何故過去の例を封印して男系男子の みという規定になったのか、そうした経緯、先人の営みを省みる視点から検討すること が求められるものと思います。 また現在の皇位継承順位に関わることなく、次代の問題ということでしっかりと区分け した上で議論を進めることが重要になると考えます。 現在の皇位継承に関する議論や報道をみていると、敬宮殿下を皇位継承の対象者として 想定し、一部では、従来の皇位継承の原則、継承順位を覆して秋篠宮殿下より上位に位 置付ける様な議論がなされており、不見識を通り越して非常に不敬で危うい態度と危惧 を感ずるところです。 天皇家の相続、皇位の継承に関して、国民、政治の側が直接的に人選に関与する様なこ とは、天皇陛下と国民との絶対的な信頼関係を損ねる重大な背信行為であり、先人にも 後世にも言い訳の出来ることではないと考えます。 ◇ 【政治家が責任を持って日本の国の在り方、天皇の在り方を論ずるべき】 冒頭で日本が日本でなくなってきているという危機感について述べました。 あらゆる分野において日本らしさ、日本らしい心、日本の在り方が問われている様に感 じます。 こうした状況の中で、皇室典範変更の議論が起こり、また皇太子殿下が新しい公務や皇 太子妃殿下に関するご発言をなさり、それに対する天皇陛下、秋篠宮殿下のご発言等が ありました。 日本の在り方に関する問題が究極として皇室にまで及び、もはや国の在り方、皇室の在 り方、天皇の在り方に関する正面からの議論が避けて通れない段階にまできたと実感す るところです。 国の在り方考える上では、精神面の問題、心の在り方について、自らの地域、国に蓄積 された伝統的な資産を温故知新で探求する和の心の見つめ直しが重要になってくるもの と思います。 日本人の精神の大本となり行動の規範となってきた和の心とは、非常に素朴な、そして それ故に力強い“お天道様の心”、天道であったと思います。 天道を大本に考えることで、お互いの考え方の違いや立場の違い、そして宗教までも乗 り越えて八百万の神といった形で共存の在り方を見いだし、上位の概念に想いを合わせ て調和を得てきたものと思います。 国歌「君が代」にあるさざれ石について、私の場合学校では“小さな石”ということで 習い、小さな石がやがて大きく岩となって更にそれが苔むすほどの長い年月に渡って君 が代が続く様に― との形で、(小石が物理的に大きな岩となるという意味ではなく) 年月の長さを表す比喩の意味合いとして理解をしていたところです。 しかしながら、さざれ石にはそうした一般的な意味の他に、特定の石を表す意味がある ことを知りました。 その特定の石とは、色も形も材質も大きさも違う小石が寄り集まって出来た大きな石、 岩であるとのこと。 雨水が石灰石を溶かして鍾乳石と同じように小石を含めて固まった場合や、強い圧力と 熱により固まった場合など、岩と固まる理由は様々とのことですが、実際にそうして小 さな石が寄り集まって岩になることがあると知り驚いたところです。 これはまさに、様々な考え方、立場の人びとが、お天道様の心を大本にして寄り集まり、 天道を祭り天道を広め深める皇として天皇を奉り、君民一体となって想いを一つにする ことで繋がりを強め、結果多様性を残しつつ強固な国として形を成してきたという君民 共治の日本の国の在り方、国体を表しているものと理解することが出来ると思います。 君が代とは、君=天皇の世という解釈でよいものと思いますが、その天皇の世は天皇の ためにある世ということではなく、国として天道を歩んでいくために民によっても能動 的に選ばれた世、国の在り方であり、私優先(直系最優先相続)ではなく上に立つ者の 最高の徳である“仁”を守り民に想いを寄せる天皇を戴き、君民共治で築いてきた国体 を誇りに思う国民全体の気持ちが込められた言葉であると思います。 経済の建て直しにおいて、社会治安の建て直しにおいて、個々人がそれぞれに生き甲斐 を持って、国のビジョンに個人のビジョンを重ね合わせつつ、自助・互助・公助のよい バランスを得て、天命を強く実感しながらそれぞれの形で活き活きと活躍出来る豊かな 社会づくりにおいて、こうした和の心に基づいた政治、君民共治の国の在り方が重要に なってくるものと考えます。 新たな国づくり、精神の建て直しという意味では、単に首都機能の移転ということでは なく、象徴的な国家事業としての新たなる都づくり、すなわち皇居の移転も含めた完全 な遷都も今後の課題になってくるものと思います。 今大切なのは、民から選ばれた政治家が、国を担う者としての誇りと責任をもって大き な哲学や思想、将来像を示して心から語りかけることであると思います。 開き直らないけじめ、凛とした身の律し方、高い理想と新たな時代をつくっていこうと する明確な意志、自らの言葉や立ち居振る舞いによって国民の共感を広げていく感化力。 こうしたものをもって、日本の国の在り方、皇室の在り方、天皇の在り方、天皇陛下と 日本について論ずる政治の在り方を探っていきたいものです。 以上 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 ◇ 君民の 泣き笑い重ね 百幾代 天の道則 仁和正す今 くんみんの なきわらいかさね ひゃくいくよ てんのみちのり にわただすいま ◇ 先祖代々にわたって、君民、人びとの生命の連鎖、喜怒哀楽の想いの連鎖 によって日本の文化、和の心は育まれ、こうした先人の営みと共に皇位は 継承され百二十五代を数えました。 このようにして育まれてきた普遍の価値、日本、和の国、和の心のあり方 を、今の世代としてあずかり、天の道に則って仁、和を正し、さらに発展 洗練させ、未来に継承していくことこそが、君民ともに今の時代に生きる ものの役割、責務であると思います。 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 長根 英樹 ながね ひでき きもの和文化プロデューサー。 小沢一郎政治塾一期生(2002年卒)。 山形県米沢市在住。 1966年5月2日 岩手県生まれ。 岩手県立水沢高等学校理数科卒業。 慶應義塾大学理工学部卒業。 (株)電通パブリックリレーションズ入社。 主に企画部署で企業/自治体の広報戦略やインターネットコッミュニ ケーションを研究実践。 山形出張が縁で米沢織の魅力に惹かれ、織元に入社。きものの世界へ。 現在は、きもののプロデュースと地域再生、日本の精神文化再興など 幅広い視点からきもの心の見つめ直し、和文化プロデュースに取り組む。 ホームページアドレス http://nagane.kimono.gr.jp/ ◇ 「スローライフ」運動を、衣食住(food, clothing, and housing)の衣の 分野から進める「スロークロージング」を提唱、プロデュース。 日本の伝統的な価値観形成の土台となり、同時に和の心を表現してきた装い としての和の服“きもの”。 こうした長年の歴史の中で育まれた装いと精神との関連性の強さ、その蓄積 こそがきものの最大の魅力、可能性と捉えて、これを温故知新により見つめ 直し、現代に発展昇華させる「スロークロージング」をテーマとして各種の 提案、コンサルティングを行う。 また、こうした“きもの心”の魅力にひかれるユーザー、流通、メーカー等 のネットワーキング、共創相乗関係の構築、運営に取り組む。 「きもの村」(http:// www.kimono.gr.jp/)主宰。 ※参考論文集&メディア掲載 http:// nagane.kimono.gr.jp/ hideki/ home/ mess.html ・日本国憲法と武士道精神 〜 和の心による国づくり ・岩手日報「日報論壇」〜見つめ直したい和の心 ・米沢日報「新春寄稿」〜スロークロージング ・繊研新聞「季刊 ki-mono」〜スロークロージングの発想 ・きもの流通新聞「きものマネジメント」〜服装リテラシー ・米沢日報「IT提言・地域情報化特集」〜地域独自の情報教育モデル ・胆江日々新聞「胆江地域の情報化推進」〜地域活力向上のために など 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 ※論文修正のご案内 2017.02.04 私は、皇位継承の伝統の昇華、現行の憲法・法制体系を尊重し、 女性天皇(男系女子も含め)の即位は考えない立場です。 また、皇位継承の安定(継承者・宮家の不足への対応)という面 では、旧皇族筋(子孫)の皇籍への組み入れ、宮家の創設、 一系継承:傍系継承の再確認こそが筋、一義と考えています。 いわゆる女性宮家は不要、藩屏を厚くしていく意味も含め、 内親王、女王が降嫁して、民間の立場から皇室皇統に関して 広めていく役割の重要性こそ大切にすべきとの考えにて。 その後の議論、検討等を踏まえ、考え方が変わった面もあります。 女性天皇、女性宮家等に関して誤解を招かない様に一部表現を あらためました。 |
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