譲位、皇統と和の心 ― 伝統の論じ方 2017.02.15 | ||
天皇の譲位問題に関して、国会での議論も始まり、政府の有識者会議 は1月23日に論点整理を公表しました。 ※今後の検討に向けた論点の整理 政府有識者会議 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai9/siryou.pdf 各党がそれぞれの考えを取りまとめ、2月20日に衆参正副議長に 報告する段取りになっています。 与党、自民党、公明党は、一代限りの譲位で特別法による方向で、 野党側は恒久的な譲位で皇室典範の改正、加えて女性宮家、女性・ 女系天皇の検討などの方向。 ここでの問題点として、有識者会議においても各党の取りまとめに おいても、 ・憲法論が不十分で立憲主義と譲位、上皇という観点がない点 (憲法論を抜きに皇室典範の改正で恒久的な規定が可能なのか 一代限り特別法なら違憲とならないのか、従来の政府答弁との矛盾) ・皇位、皇統と和の心、和の価値観という伝統、文化の観点に欠ける点 ・そもそも議論を始める前の作法、基礎前提としての伝統、文化の論じ方 (伝統、文化を考え議論する際の大前提)が整理共有されていない点 などが挙げられるものと考えます。 ◇ 例えば憲法論、0歳即位(+摂政)の視点。 今の憲法体系においては、0歳でも即位、(赤ちゃん天皇として)在位 が可能となっています。乳幼児期も含め、幼少期、未成年期は摂政が 補佐をする形で、いわゆる公務はもちろんのこと国事行為さえ一切せず とも在位が可能、相当とされており(最長18年間未成年天皇+摂政が 補佐の体制)、それも含めて「象徴」天皇と規定されています。 (祭祀に関してはそもそも法的な位置付けはなく、天皇、象徴の規定 においては必須のものとされていません。) むしろ、それこそが「象徴」の究極的な意味合い、真髄を示している とも捉えられようかと考えます。 有識者会議の論点整理においては、上記の幼少天皇+摂政の関係性 や在り方までも否定するような意見、象徴の捉え方が整理なく併記されて おり、各党の取りまとめにおいてもこの点に留意が見られません。 あらためて、現行の枠組みにおける天皇、象徴の意味に関して、誤解や 思い込みを排除した形で整理し直すことが重要と考えます。 また、あらためて日本国憲法第一章第一条の文言、意味の捉え直し、 吟味が重要に思います。 A 天皇は、日本国の象徴的存在であり日本国民統合の象徴的存在であって、 この地位は、主権の存する日本国民の合意に基く。 B 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、 この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 Aのようにゆるやかな条文(象徴的存在、合意)ならば、解釈において 融通を利かせる余地も出てきますが、現行憲法はB(象徴、総意)で あり、非常に重く厳密な規定となっています。 どういった前提ならば、法律文として「国民の総意」と記せるのか。 しかも憲法の条文において。 これは、単に一時の世論、議決によって決し得る筋のものではなく、 伝統と文化に基づく、先人たちの営み蓄積を踏まえた昇華により高め られた日本における高度に普遍的な枠組みであるという前提があって こそ成り立つ条文、文言と理解するところです。 今、あらためて、国民の総意と言える天皇、皇位、皇統、象徴の意味 合い、伝統の変遷と昇華、和の心、和の文化との深い繋がりを、日本人 全員が再吟味、再確認することが重要に思います。 * 和の心、文化論、伝統論という意味では、皇位、皇統、皇位継承に おける普遍的理念である「皇位は預かりもの」(皇位の私物化は許され ない)という概念の再確認が必要で、今はなされていないと見受けます。 あわせて、己、人間存在の限界を弁(わきま)え、人智を超えた面に 委ねる感覚、生死を重んじそれを従容と受け容れる感覚なども、議論 の前提として共有されておらず抜け落ちているものと捉えます。 天皇、皇位は、個人崇拝ではなく、ご一家主義、ご一家崇拝でもない。 皇位の由来という意味では、時の天皇その人、その親(先代)、家族、 皇嗣という直近感覚で由来の在りかを見い出す捉えではなく、皇統へ の所属こそが重要であり、その中における○○天皇系という直系系統 (ご一家感覚、系図、関係線)は、幾度も途切れており、その度に先代、 先々代へと遡って皇統別系で継いで来たのが皇位継承の歴史、皇統の 積み重ねとなります。 初代神武天皇から日本国の成り立ち、在り様、和を預かりものとする、 直系最優先の継承方法ではない傍系移行の積極的な組み込み(和の 原点回帰機能)こそが、万世一系、一系継承の真髄となります。 * 伝統、文化の論じ方という意味では、伝統、文化自体も時代により変 遷してきているもので、無謬論(すべて正しかった、今現在でも有効)は 危険、捉えを過つことになる、伝統、文化の本質、真髄の理解が肝心で、 その上でなにを変えなにを変えないかこそが重要、との整理が欠けて いるものと捉えます。 伝統派、保守派なのに天皇の言葉、思いを尊重しないのはおかしいと いう指摘、疑問がありますが、これこそ伝統、皇統の論じ方の基礎根本 を捉え違えている見方となります。 そもそも尊皇、勤皇とは、尊皇統、勤皇統であり、尊天皇(時の天皇)、 勤天皇(時の天皇)、承詔必謹とは必ずしも一致しない、この区別こそが 重要と捉えるのが伝統派、保守派の矜持であり、伝統、皇統の論じ方に おける基本中の基本となります。 (尊皇=尊皇統:伝統を踏まえた憲法体系 > 尊天皇=承詔必謹 承詔必謹と尊皇統との間で悩み、呻吟するのが尊皇派の永遠のテーマ、 特徴的なメンタリティとも言えます) 和気清麻呂(わけのきよまろ)、道鏡事件、称徳天皇など、皇室、皇統 の問題においては、外部から皇室、皇統へ関与の面だけではなく、皇室 内部の運営面でも過去に反省すべき点があり、そうした歴史認識、伝統 の昇華を踏まえた上で、今の枠組み、規定が形作られてきたと見るのが、 伝統派、保守派の基本的な立場、伝統、皇統の論じ方となります。 承詔必謹よりも皇統、伝統を上位概念と捉え、それを踏まえた憲法、 立憲主義を相矛盾するものではないと重んじるのが、現代の伝統派、 保守派、尊皇派、勤皇家となります。 ◇ 以下、今後の国民議論、国会議論、有識者会議の最終とりまとめ等に 向けて具体的な論点を提示します。 1 憲法1条問題 象徴 総意 天皇と上皇の並立による多重性、象徴・尊崇の分散、総意の前提崩れ 憲法99条問題 憲法擁護義務 天皇、摂政は明示も上皇は未規定 上皇に課さぬは立憲主義上の瑕疵 上皇=太上天皇(名称はいずれでも「前天皇陛下」)の存在、現役天皇 との並立がないからこそ成り立つ条文が憲法1条となります。 天皇が退位後に上皇陛下(前天皇陛下)として皇室に残る場合、上皇と 天皇の2名の男陛下が並立する状況が生ずることとなります。 その時、国民はどの天皇陛下を尊重し象徴性を見い出すのか。国民の 総意として一人に一致するのか。憲法1条における「象徴」「国民の総意」 が変わりなく成り立つといえるものか。 これは憲法1条、天皇の地位規定の根幹に関わる重大な問題となります。 そもそも、「どちらの天皇陛下?」「前の天皇陛下」「今の天皇陛下」 などと一意に天皇が特定されない状態こそが憲法の想定外であり、象徴、 総意と矛盾することとなります。 過去の譲位事例、直近でも200年前、光格天皇による譲位時とは全く 前提、事情が異なっています。 現在は立憲君主制、すなわち憲法に明記された天皇の地位であり、また 情報環境の面でも大きく異なっています。 現在は譲位した前天皇の顔も新天皇の顔も、皇太后の顔も皇后の顔も、 折々の場面、所作等も国民がテレビ、新聞、インターネット等によりリアル に思い浮かべられる情報環境であり、譲位後の前天皇に対する国民感情、 尊崇の念は簡単に薄まるものではありません。 内心の問題として、新天皇よりも前天皇をありがたく思い相応しいと待望 する国民も一定数見込まれ、存命である以上どちらの天皇(前天皇、 新天皇)に心を寄せるかという意識の分裂は避けられません。 更に譲位の恒久化となれば、場合によっては上皇が2名となり元天皇も 含めた3人の天皇陛下(太政天皇A陛下+太政天皇B陛下+天皇陛下)が 並立する可能性さえあります。 これは権威の分散、多重性そのもので、現役天皇だけが象徴であり国民 の総意に基づくとは言えなくなり、憲法1条が成り立たなくなります。 すなわち憲法1条は実質的に1人の天皇のみ(=終身在位)を前提とした 規定であり、譲位、上皇とは相容れないものとなります。 この点は憲法99条においても同様であり、現在皇室に関しては天皇の 他に摂政のみを明示して憲法擁護義務を定めており、摂政以上の影響力 を有する「陛下」たる上皇(前天皇)に関しての規定はありません。 立憲主義の考え方において、法の枠組みを越えるエクストラな存在を容 認、放置することは出来ず、仮に譲位、上皇の存在を想定するならば上皇 にも憲法擁護義務を課し、99条に明記すべきとなります。 こうした点からしても、やはり憲法においては天皇(男陛下)の唯一性が 大前提となって全体が構成されていると解されます。 従来の国会論議、内閣見解において譲位が否定されてきたのはこのよう な重大な意味があってのことなのであり、あらためて譲位、上皇を規定する のならば、単に皇室典範の改正のみならず憲法の改正も含めた正々堂々 の恒久的整備が必要となり、それこそが憲法尊重、立憲主義と言えます。 ここで、仮に天皇が譲位後に上皇とならない場合は、皇籍離脱の余地も 出てきます。 選挙への出馬や新党結成、書籍出版、講演、コンサルティングビジネス、 宗教的ビジネス、海外への移住などの「自由」をどこまで制限するかという 問題が起こってきます。 国民側の違和感は非常に大きく、前天皇に守秘義務や行動制限を課す 必要性と象徴の位置付けとの矛盾などが生ずることとなります。 天皇個人の意思を尊重して譲位を認めるという時に、それでも譲位後は 必ず上皇になるべし=皇籍離脱(リタイア後の第二の人生)は許さないと 規定、法文化するのでしょうか。それは天皇の意思尊重に矛盾しないか。 退位の恒久的要件を規定するのは非常に困難というのは、まさにこうした 点にあります。法律論としても、そもそもの位置付け論としても、真面目に 考えれば考えるほど、様ざまなケース、個々人の自由に対応した一般的な 論理での法制化は困難というのが如実になってきます。 (それだけ天皇、象徴の位置付けは高度で特殊なものということになります。 あらためて、今の枠組みがどれだけ高度なものか、良く練られたもので あるかが思い知らされる形になりましょう。) また、譲位の自由=即位しない自由=皇籍離脱の自由とも繋がっていき、 単に直近の譲位、皇位の移行に限らず問題は大きく複雑になっていきます。 晩年になってそうした事態、混乱を招くくらいなら最初から即位しないで欲し かった、という議論にも発展しかねません。 (即位後、晩年期になって最初の終身在位の前提を変えるのはおかしい等) 譲位となれば、上皇となるにしてもならないにしても、いずれにしても大き な問題が生ずることとなります。 憲法1条は、象徴「的存在」、国民の「合意」といったゆるい条文ではなく、 「象徴」、「総意」という非常に高度な形で天皇を位置付ける規定となってい ます。この点を安易に考えるべきではありません。 また憲法問題では、4条1項の権能規定、5条の摂政の設置規定、権能 に関しての準用規定も同様に議論対象となります。 現行憲法では上皇に関しての想定、制限がなく、あらためて上皇におい ても設置規定、及び上皇の権限、暴走を縛る意味での権能に関する準用 規定が求められ、やはりこの面における憲法改正論議が必要となります。 * 2 上皇における院政の問題点に関し いわゆる院政の問題は、現在の議論においては安易な形で軽視され ているものと見受けます。 現実問題、現状憲法4条1項:国政に関する権能を有しない、99条: 憲法擁護義務で制限のある天皇の立場にあってさえ、マスコミスクープ とお言葉により国政、立法が特別扱いで動いている事実があります。 それだけ天皇、陛下の重み、影響力は甚大であることがあらためて明 らかになった形であり。 これが、憲法4条1項、99条において制限のない上皇となれば、影響 力を活かしつつの自由な国政への介入、立法的希望により内閣、国会 が動くこともあり得ると考えるのは自然、合理であり、むしろ立憲主義的 には必要な懸念となりましょう。 また、院政とは政治(対政府、対国会)等における上皇自らによる能動 的な面に限った話ではなく、周囲から担がれる(御輿になる)という受動 的な面も含めての話で、上皇と天皇、男陛下の並立自体が権威分散の 弊害となります。 現状、実際に譲位がなされる前段階においてでさえ、譲位後の天皇の お住まいは京都に!などの典型的な動きが出ている状況となります。 天皇側、上皇側それぞれに固有の人的繋がりがあり、また天皇に取り 入ろうとして難しい場合に次は上皇の方に取り入る動きなども出てきて、 周囲の利権狙い、優位の追求によるお追従合戦、担ぎ上げ合戦の構図 が生まれ、利権化、綱の引き合い、争いの種となる構造も含めての懸念、 問題となります。 加えて、皇室内の運営に関わる面も大きな問題となります。 天皇(皇后)、上皇(皇太后)、皇太子(妃)等も生身の人間であり、感情 や私情、自己愛等を有する万能、完璧の存在ではない、という基本捉えが 重要となります。長い歴史の中では、様ざまな天皇、皇后、上皇、皇太后 が存在し、今後もそうなり得るという認識が必要となります。 例えば、上皇の重祚、皇位継承順位をどう法文化するか。 法的には重祚なしと規定しても、現実論としては再即位を阻止することは 非常に困難となります。 仮に上皇(皇太后)が天皇(皇后)に復帰したいと考えた場合、息子天皇 の方から退位、父への返上を言わせる(その後はまた息子が再即位する 前提)などがあり得ます。 今回のように、法制、条文に反して譲位が規定されるのならば、同様に 新天皇の短期での譲位、上皇への返上も、なあなあの国民感情において 起り得ることとなります。 仮にこうした際に息子天皇が皇位を返上しないなら、別の息子等を即位 させようとして上皇がビデオメッセージを公表して牽制したり、マスコミへの リーク合戦(友人や理髪師等々を登場させ)など、皇室内での権力闘争、 人気取り工作なども起り得ます。 少なくとも、相打ち的に父上皇、息子天皇双方が皇位を離れる形に発展 など。 また別のパターンとして、家族内での調整により家族持ち回り的な即位 とし、全員が一度は天皇になって陛下の身分称号や特権を得るやり方など もあり得ます。 再即位、内紛、ピンポン即位、持ち回り即位など、天皇一家による皇位 の私物化により皇位が軽いものとなってしまうなど懸念は多々となります。 先人、伝統の解釈においては、こうした点も含めて様ざまを勘案の上で、 0歳でも即位可能(未成年時は摂政が補佐、公務は皇位に必須ではない)、 一世一元、終身在位、すなわち皇位の継承に天命(死)以外の人為的な 要素は含めないとしたものであり、これこそが伝統の昇華を踏まえての 現行憲法体系における象徴天皇規定であり、非常に重みのある洗練され た位置付けになっているというのが本質と捉えます。 三種の神器の税法上の扱いに関しても、相続税は免除としつつ贈与税に おいては免除なしの規定となっているのは、譲位、すなわち生前での代替 わり、神器の所有権の移行に対して、あえて金銭的な面(莫大な贈与税)か ら制限を掛けているものと捉えるべきであり、憲法はもとより法制、法体系 トータルとして非常に緻密で整合性高く譲位を排除している形と解されます。 皇位皇統の問題を考える際は、天皇と日本、和文化との繋がりを踏まえ 「皇位は預かりもの」という大原則を肝に銘じつつ長期視点で過去、未来を 見ることが重要に思います。 * 3 社会契約の面 契約不履行 事後法での免責要求 今回(昨年8月8日)の天皇陛下による譲位ビデオメッセージを踏まえ、 イギリスではエリザベス女王(90歳)の譲位はなしと確認とのことです。 国民との契約という概念によっての判断にて。 (チャールズ皇太子は68歳。今上陛下は83歳、徳仁皇太子は56歳。) 日本においても、今上陛下は即位時に憲法(一世一元、終身在位も含) に則って即位し天皇位を務めるとの前提、宣言の上で践祚しています。 これを晩年になって反故にし、国民との社会契約を一方的に破棄しよう としつつ、尚且つこれを免責、正当化する事後法を内閣、国会に要求して いる、との見方さえあるのが今の状況となります。 しかも、国民議論、国会手続の前段階で、英文も含めて外国に向けても メッセージを発信というのは、国民主権、及び国権の最高機関たる国会の 蔑ろであり、論調(かわいそう)の逆輸入による国内議論の抑圧誘導は、 国家国民、民主主義を軽視するものとの見方もあります。 本来の君主道、帝王学とは相容れないもの、との見方も。 また諸外国における見方も、必ずしも同調的(かわいそう)とは限らず、 立憲君主制、民主主義との兼ね合いや社会契約との兼ね合いでの疑問 の他、現在の日本の状況(311、福島原発事故以降の全世界的放射能 問題、人類史文明史的課題、国民被曝の人道問題等)を前に、非常に 違和感をもって捉えられている面もあります。 (プライオリティの面、そもそもの存在意義の面) 単に現在、現世代だけの問題としてではなく、後世、子孫まで含めての 検証に資する議論が重要という意味では、昨年8月8日のビデオメッセージ に関しても、本来は国会での検証、議論が重要になるテーマと考えます。 少なくとも、各党の党内においては、ビデオメッセージの内容に関しても、 公表経緯等に関しても議論、検証がなされるべきと捉えます。 * 4 NHKスクープの問題 経緯の調査、検証は国会議論の大前提 今回の譲位問題は、昨年7月13日のNHKによるスクープ報道によって 端を発した形であり、本来これは天皇の意に反した退位、引きずり下ろし にも繋がり得る、メディアの則を越えた暴走の典型例とも言えます。 天皇自らの公式な発言が無いままに、マスコミ報道主導で外堀を埋める ように既成事実化されていく形は、非常に不敬で危険な展開でした。 他のマスコミだけでなく、国民も調査・アンケート等で簡単に乗せられ、 譲位賛成、お疲れさま、ゆっくり休んで等々、譲位に追い込む方向へと 進みました。 結果オーライでは済まない重大な問題となります。 (この報道に関してメディア側では「新聞協会賞」を贈呈など、全体として の反省の無さ、役割意識の勘違い、驕りが見られます) 仮に今般譲位を恒久的に位置付け法整備をしたとして、以降、天皇自ら による譲位意思の明示がない段階でのメディアのいわゆるスクープ報道 を許すのでしょうか。 憲法1条に明記の天皇の地位を、メディアが誘導して引退、交代に追い 込むこと、その時期を早めるようなことは許されるものではありません。 しかしながらこうしたことが実際に可能という危険性が明白になったのが、 NHKによるスクープ報道であったと捉えます。 あらためて法的な制限、厳正運用の確認等が必要な問題と考えます。 今回のスクープ報道の経緯、リーク元等を明らかにする検証、情報開示 は、国会において譲位問題を議論する上での大前提、基礎情報となるだけ でなく、国民の知る権利への対応、先祖子孫をも含めた日本人への責任と もなります。 この検証により、今後の議論の方向、国民の理解、感情は大きく変わり 得るものであり、真摯な議論を進める上で絶対不可欠のものになると考え ます。 * 5 皇位は預かりもの 人智を超えたものに委ねる従容の和 元来、和の体現が皇位、皇統、天皇の在り様の根本となります。 和の心、和文化、和の価値観と皇位、皇統は繋がっているもので、和、 仁、無私、従容等の価値観は皇室の運営、諸規定に組み込まれています。 自己、人間存在の限界を弁え、人智を超えた人の生死、人生の波等の 天命に委ねる面があるのが和の心、和の感覚であり、天皇、皇統において も本来的な在り様となります。 和の吟味、洗練、伝統の昇華という中で、かつては姉等が一時的に即位 をして弟や甥の成長、基盤確立までの間皇位を死守していた状況を改め、 0歳でも即位が可能、摂政が補佐という割り切り、理念の究極化において、 女性天皇の繋ぎ役としての即位、その後の上皇という存在の余地を明示的 に摘んだ形となります。 あわせて、父子継承における上皇と天皇の並立による弊害も除去の形。 生の面においては、男子が生まれなければ傍系の他家に移行など。 また幾代にも渡って男子で継承、繁栄を続けている宮家の在り様に対し、 これも天意と受け止め世襲親王家とした位置付けも、人智を超えたものを 尊重する、長期視点発想の和と言えるものと思います。 死の面においては、人生の終わり、死を以って日本国の歴史に区切りを つけ元号を終える一世一元、終身在位の意味など。 (これは、在位に対するある種の対価、ご褒美的な面もあろうかと) これらは長年の伝統、反省等を踏まえ、その本質、エッセンスを高度に 昇華させた中で生まれたものであり、重みのある洗練された位置付けと して今の「象徴」天皇が規定されているものと捉えます。 決して明治からの歴史の浅いものといった成り立ちではありません。 皇位は預かりものの大原則。 神武天皇の即位までの間の経緯、混乱や争い等も踏まえての和の統一、 日本国の成り立ちを、忘れずに生かし、和を高めていく伝承、伝授の役割、 その継承が皇位、皇統、天皇存在の意味と考えます。 皇位を一系で継ぐ、直系女子ではなく傍系、他家の男子に継がせること により、君民共に、皇位、皇統の本来的な意味合いに関して、皇位の由来 が時の天皇個人にあるのではなく、初代神武天皇からの預かりものである ことを意識し、そうした長期の歴史視点の喚起による和の原点回帰を促す 仕組みが内蔵された継承方法であることに気付き、誇りを新たにすること となるのです。 そして、これが2600年余の長きに渡って皇統が続いてきた秘訣でもある と考えます。 日本の歴史においては、常に皇統を守る者、皇統の意味を民に伝える者 が、次代の牽引役として求められ、現われて来る繰り返しとなっています。 和の心、預かりものの意識によって、皇位の私物化は許されず。 わが身かわいさ、わが子かわいさ、家族かわいさの私意私情では間違う。 直系最優先の継承方式とは異なり、傍系継承、すなわち他家に譲る仕組 みのより積極的な組み込みこそが一系継承の特徴であり、これにより狭い 家族意識、一家意識を抑制し、皇族全体の協力と(良い意味での)牽制に よって皇室運営を健全に進めていくことが可能となるのです。 これらは、いわゆる「日本会議」的な価値観(Y染色体論、男は種/女は 畑論等)に基づくものではなく、もっと純粋に和的なものであり、そうした面 での区別、区分けが必要となります。 日本皇室の皇位継承は、万世一系であり万世男系ではありません。男系 が重要なのではなく、一系こそが重要となります。 万世といういのは美称表現であり、継承方法分類的には、「直系最優先 継承」との対比で、純粋に「一系継承」と捉えるのが相当と考えます。 安倍政権への評価、他の政治運営への賛否とは別に、切り分けて考える べきテーマであり、より重く深い先祖子孫に関わる日本の究極的課題として、 私利私欲、損得勘定(選挙戦略、提携戦略等)を捨て是々非々での対応が 求められる局面と捉えます。 今現在は、宮家が少なくなり過ぎて、実質的な牽制が働かず、君民双方 共に個人崇拝的、ご一家主義が非常に強まっている状況と見受けます。 これは、一系継承の制度において想定している弱点、直系親子継承の 連続による既得権化、構造の固定化が典型的な形で顕在化している状況 と言えます。 今回でも今上陛下は、昨年8月8日のビデオメッセージ公表に向けて、 傍系の宮家、皇位継承資格者に事前相談をしたものか。 家族5人での食事会はビデオメッセージ公表前後に開催された様子です が、実の弟となる常陸宮殿下、叔父である三笠宮殿下(当時はご存命)に 譲位、上皇設置という皇室の大転換に繋がる話を相談の経緯は国民的に は見えず、ご一家主義の懸念が生ずる事態となっている現状と見受けます。 * 6 伝統、文化の論じ方 今の日本においては、衣食住のレベルから伝統、文化の学習、伝承機 能が弱まっている面が大きいものと見受けます。 和の食においては箸を持ち米の飯は食べるにしても、パン、パスタ等も 大分頻度が増えており、和の衣においては帯紐すら結べないなど。 ことさらに武道や伝統芸能の習い事等をしなくとも、和の衣、きものを 着るとなると、着方やドレスコード、仕来りなどの面で、分かったつもりで いつつ分かっていなかった、捉え違いをしていたと反省するケースは多々 となります。 伝統、文化の捉え方にも様ざまな解釈があり、巷間言われている解釈に は間違いも多いことを身をもって経験することになります。 伝統、文化自体も時代により変わってきているものであり、伝統、文化 の本質、真髄の捉えが肝心で、それに基づきなにを変えなにを変えないか こそが重要になると分かります。 衣服を着るという身近な実生活の要素、経験により、伝統、文化の真の 捉え方、向き合い方、活かし方を学び、先人の蓄積に対する畏敬、謙虚 さを学ぶことになります。 一方でこうした訓練が不足の場合、伝統を軽視し、今の自分たちが進ん でいる、優れている、伝統は変えるべき対象といった浅はかな感覚、姿勢 となりがちになります。 譲位、皇統問題におけるマスコミでの報道、調査において、過去歴代で 女性天皇が何分の何、譲位が何分の何などと例示するのはその典型であり、 伝統の変遷、文化確立の過程を踏まえずに、時代の状況、前提が異なって いるものを同列に比較することの非文化性を示すもの、先人の知恵の蓄積、 過去の過ちを苦労して修正しつつ確立してきた営み、そうした中での伝統の 昇華を台無しにしてしまう捉え、所業に他ならないものと考えます。 (和の衣、きものの着方においても同様で、伝統、文化の本質を見ようと せずに、表面だけを安易に捉えた着方では、洋装配下の和装、蓄積・ 昇華軽視の感覚となります。芸・道の取り組み方においても同様に。 実際、そうした安易で未熟な和、芸・道も多々な現状と見受けます。) 衣食住レベルでの和の実践がないままに、伝統、文化の捉え方、論じ方 の訓練が未熟な状態で皇位、皇統の問題に接する状況が起こると、急に 権威を奉り伝統派ぶる、にわか尊皇、似非尊皇、お追従尊皇など、空気を 見て大勢に付いていく流れ、動きが顕著となります。 そもそも、尊皇、勤皇とは尊天皇、勤天皇ではなく、尊皇統、勤皇統こそ が本来の筋となりますが、こうしたことも踏まえぬままに、尊皇!承詔必謹! 忖度!不敬!と声高に語る者が跋扈する状況が一時的に表れるものです。 しかしながら、日本において皇位、皇統、和の問題は、話題化し深まれば 深まるほど本来の真髄に立ち戻ってゆくこととなります。 今後あらためて「和気清麻呂」(正一位。かつての十円札の肖像。一時期 天皇に「きたなまろ」と改名させられた。)をテーマ化して尊皇統、勤皇統と 尊天皇、勤天皇、承詔必謹との相違を浮き彫りにし、「皇位は預かりもの」 という大原則を再確認、再確立していく方向が出てくるものと思います。 こうした点も含めて、伝統、文化とどう向き合うべきか、過去にも事例が あった、いくつあったということではなく、伝統、文化の本質とはなにか、 なにを変えなにを変えないか、本質を守り残しての昇華こそが重要であり、 先祖(過去)子孫(未来)から今を預かる現世に生きる者としての役割で ある、という議論へと方向づけていくことが重要と考えます。 * 7 旧皇族子孫の皇籍組み入れこそ 女性宮家、女性・女系天皇とは別に 皇位、皇位継承の安定性という意味では、今あらためて一系継承の原則 を再確認することが重要と考えます。 すなわち、今上陛下 → 皇太子殿下 → 秋篠宮殿下 → 悠仁親王殿下の 流れの確認です。 皇室典範改正という意味では、次代において秋篠宮殿下を単に「皇太子 待遇」とするだけに留まらず、皇子、皇孫以外の継承順位1位の継承者が 適宜立太子(立太弟等)出来るように、皇太弟の設置などの面での改正 (名前は皇太子のままとする形でも、いわゆる東宮、内廷として位置づけ) が重要となり、現実に即した形で求められているものと捉えます。 現在、女性宮家の創設、女性・女系天皇の検討が必要との中で、皇太子 殿下の次に、継承順位2位の秋篠宮殿下ではなく、継承順位で下位とな る(順位逆転)以前に継承資格すらない愛子内親王殿下を位置付け、望む が如くの議論も見受けます。これは、外部からの皇位への介入という悪し き先例とまさしく同様であり、歴史の反省を踏まえぬ愚かしさ、不敬の極み と捉えるところです。 (藤原氏にでもなったつもりでしょうか) 一系継承の原則は、皇統、すなわち神武系男子による継承です。 皇族に男子継承者が少なくなった際には、女性天皇や女性宮家(直系の 系図を伸ばそうという方向)ではなく、傍系他家の男子に継がせるのが筋 であり、現在の状況では早い段階での旧皇族子孫の皇籍への組み入れ こそが喫緊の課題と考えます。 仮に女性・女系天皇、女性宮家に関して検討をしようと言うのであれば、 まずは直近最後の女帝、117代後桜町天皇、及び118代後桃園天皇の 一人娘欣子(よしこ)内親王に関して、基本的な事実関係、経緯を踏まえる べきです。 118代後桃園天皇の崩御後、欣子内親王は天皇にならず、傍系他家の 男子が119代光格天皇として即位をしました。 最後の女帝、譲位し上皇となっていた後桜町院自らが、欣子内親王即位 =女帝を封印した形となります。 これは明治以前の話であり、皇統男子継承は明治維新(軍国主義、男尊 女卑等)による歴史の浅いもの、という捉えが全く見当違いのものである証 となります。 最後の女帝、後桜町天皇は生涯独身です。 弟天皇が早死にしたためにその息子(甥)が基盤を確立するまで中継ぎ 的に即位の形。譲位後も結婚せず、子も産まずです。 (皇位に就いた女、元天皇の立場で、天皇たる夫以外の男に抱かれては ならない、権威に傷がつく。子をなすと元天皇の直子ということで継承に 混乱が生じかねない、争いの種になりかねない。など。) その様な思い、辛い立場を、弟の孫娘(甥の娘)である欣子内親王には 経験させてはいけないとのことで、上皇の立場にあって皇位を傍系に移行 させ他家の男子に即位をさせたのです。 この時点で事実上女帝は封印された形となります。 女性・女系天皇、女性宮家論者は、過去の女帝の苦悩、皇統を一義と する中で私意私情を捨てて守った矜持、営みを軽視して、「女帝も結婚 して子を産めばいい」「その子を即位させたらいい」と、今の世において 簡単に覆すつもりなのでしょうか。 それを、伝統尊重、皇位を守る立場、解釈と言えるのか。 そうした転換、皇統原則の覆しをしつつ、国民の「総意」に基づく皇位、 天皇が成り立つと考えているのでしょうか。 (※女帝論に関して参考 皇位継承と和の心 ― 天皇の子が天皇とならない理由 http://nagane.kimono.gr.jp/hideki/mess/book001/ ) やはり、今あらためて、過去の女帝の事例、即位退位、結婚、出産等 の再確認も含め、平成の和気清麻呂議論、皇位、皇統と和の心という 本質的な文化論が求められる段階と考えます。 以上 2017.03.22 加筆修正 ◇ 参考過去論文、メディア掲載等 ■摂政論と和の心 2017.01.30 http://nagane.kimono.gr.jp/hideki/messages/38_title_msg.html ■譲位と憲法論 2016.08.16 8.8 天皇陛下ビデオメッセージを受けて http://nagane.kimono.gr.jp/hideki/messages/37_title_msg.html ■「朝日新聞」2005.10.28 三者三論 〜 女性天皇どう考える 現制度の方が皇室安定 http://nagane.kimono.gr.jp/hideki/messages/28_title_msg.html ■ 和の国、和の心 ― 天皇陛下と日本 2005.02.18 http://nagane.kimono.gr.jp/hideki/messages/27_title_msg.html ■ 「日本国憲法と武士道精神」 〜 和の心による国づくり 2004.01.06 http://nagane.kimono.gr.jp/hideki/messages/26_title_msg.html ●サイト内掲示板 皇位継承と和の心 http://nagane.kimono.gr.jp/hideki/mess/nippon/ |
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