新たな時代の精神、心の在り様、価値観や文化を、今一度
あらためてつくり上げる意味において、自分自身の内部、
日本の内部にあるものを見つめ直して、その本質的意義を
探る「温故知新」が大切になると考えます。
日本文化の伝統的な価値観、先人達の蓄積のすばらしさ。
私はこれらのものを、きものを通じて、観念的にではなく、
衣服を身に着けるという生活に根ざした形で体感し、普遍
的な価値を持つもの、新たな時代を担う価値観となるもの
として確信を得ることが出来ました。
「衣食住」と言われる様に、衣服装いは、それぞれの人々、
地域、国の文化、すなわち価値観や美意識、心の在り様と
密接に関わり、相互に影響を及ぼし合う関係にあります。
そして、日本の伝統的な価値観形成の土台となり、同時に
和の心を表現してきた装いは、まさに和の服“きもの”に
他なりません。
きものを着ていると、季節の移り変わりに関する敏感さ、
繊細な感受性を実感します。
様々なきもの素材、織物の分類、それらのコーディネイト
には、微妙な季節の移ろいを感じ、それを味わい楽しんで
来た様子が見て取れます。
春夏秋冬、四季の分類だけではなく、更に細かく分類した
中国伝来の二十四節季も感じ分け、実際に生活慣習や衣服
装いの中に取り入れてきた繊細な感性。
これは、自然への慈しみ、感謝につながり、弱いものへの
優しいまなざしにつながります。
私の第二の故郷である山形県南部の米沢、置賜地域には、
「草木塔」という、自然の木や草花を供養する搭が数多く
残されています。
また、花鳥風月を愛でる心は、自然と一体になる中で生活
のメリハリを味わう風流、美意識につながります。
更に、人智をはるかに越えた自然の営みへの畏敬は、人間
より大きなものの存在を確信させ、時に高い理想へ一身を
ゆだねる高度な公私関係の基礎になったものと思われます。
きものの仕立て、布の段階活用には、ものを大事に愛おし
む心、エコロジカルな思想を感じることが出来ます。
隙のない直線的な裁断図には、真理の強さ、美しさが表れ
ており、生地を無駄にすることなく再び一枚の布に戻して
活用したり、揚げや繰り回し等によりうまく再生する工夫
が見て取れます。
布は、補強、継ぎ等により大切に使われますが、布として
の強度が落ち、破れやすくなった最終段階でも、更に細く
引き裂かれ、再び布糸として新しい糸と共に織り込まれる
裂き織り技法などにより最後まで活用されます。
きものの素材、色、柄、小物も含めた深い吟味とこだわり。
また、それらの意味性を象徴的に捉え一つのストーリーを
描く高度なコーディネイト解釈。
時と場、立場に応じた多段階の礼装表現など。
これらからは、知的なしゃれ心と共に豊かなセンス、大人
の男のダンディズムなどを感じることが出来ます。
「襟を正す」「折り目正しく」などの言葉がありますが、
礼装、公的な装いスタイルからは、公私のメリハリを大切
にする心や覚悟が感じられます。
気軽な着流しスタイルとは違い、公的な装いである袴姿は
凛と気持ちを引き締め、装う側にある種の覚悟を求めます。
「仁」という愛徳をもって治め、「忠」の義により理想に
身を委ねる武士道精神は、紋付き袴スタイルであればこそ
心に宿ったエスプリであったと考えます。
ここで武士道の精神について、あらためて見つめ直しその
神髄を探りたいと考えます。
武士道は、私の第一の故郷、生まれ育った岩手県の新渡戸
稲造博士が、諸外国に日本の文化、精神基盤を伝えようと
約百年前に英文で著した書です。
現代では、かつての封建的な主従関係の要諦を解説した、
古い日本文化論として捉えられる面もあるやに見受けます。
しかし私は、昔話としては捉えておらず、新たな時代にも
活きる深い示唆を与えてくれるものと捉えています。
そしてその示唆は、文中において紹介のある一君主の言葉
に象徴的に表れていると考えます。
私の第二の故郷、米沢の上杉鷹山公が家督を譲る際、後継
者に授けた言葉「伝国の辞」です。
「伝国の辞」
一、国家は先祖より子孫へ伝へ候国家にして我私すべき物
にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこ
れ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人
民にはこれ無く候
この言葉から読みとれるのは、高い理想主義の精神です。
君主と武士、人民との間に、直接的な主従の関係ではなく、
共通の理想を仰ぎ、共にそれぞれの立場、役割意識で理想
実現に取り組む関係性が存在した点に、深い示唆と感動を
覚えます。
上杉鷹山公については、同じくほぼ同時期に著された内村
鑑三氏の「代表的日本人」においても紹介があります。
米国第三十五代ケネディ大統領は、これらの書に目を通し
ていたとされ、記者会見において「最も尊敬する日本人は」
と聞かれた際に、上杉鷹山と答えたと言われます。
大統領就任演説における有名な一節、
「国が何をなしてくれるかを問うのではなく、
国のために何をなし得るかを問うて欲しい。」
という言葉には、個人の自由や権利とは別の視点から、国
のトップリーダーと国民とが共に共通の目標に向かう姿勢、
相互の義務という面で、武士道精神の粋との共通性が見い
出せます。
単なる民主主義ではなく、リーダーの役割、高い精神性を
重視し、国民にも参加義務を求める形で君主政治との高い
次元での融合、昇華のエスプリが窺えるところです。
日本において、君主と武士、人民が仰いだ共通の理想は、
様々な外来文化の吸収により枝葉を広げながらも、脈々と
して根を長く伸ばし、日本古来からなる英知の年輪を積み
重ねてきた太く真っ直ぐな樹幹そのものであり、非常に純
粋で故に普遍の価値を持つ「天道」、天の道理であったと
考えます。
日本は無宗教の国ともいいますが、個々人における各々の
信仰はともかく、国、社会としては、特定宗派にとらわれ
ることなく、その存在を認めた上で八百万の神として尊重
しつつ、それらの高位に天道を位置づけ仰いできたものと
考えます。
上杉鷹山公の政治により、約二百年前、米沢、置賜地域は
まさに天の国ともいえる理想社会を実現します。
その象徴的なエピソードとして、実際に米沢を訪ねた学者
が残した「棒杭の商いの話」があります。
“人里離れた道の傍らに、わらじや果物などを棒杭にぶら
下げた、管理人のいない市場がある。
人々はそこに記されている通りのお金を置いて品ものを
持ち帰る。
こういった市場で、盗みが起こるとは誰も思っていない
のである。
この様な商いが、現実として行われている。”
この様な話です。
こうして米沢は、「至治の国」、治世ここに至れりとまで
言われる様になったとのことです。
この様に、天道に基づいた高度な理想主義、日本の文化、
和の伝統的な価値観には、凛とした気概、繊細な感受性、
慈しみやさしさなど素晴らしい宝、普遍の真理が詰まって
います。
今あらためて温故知新、この豊かな精神基盤を復興再構築
することこそが大事であり、新たな時代を切り開いていく
基礎となる課題であると考えます。
私は、今後国内のみならず外国訪問の際も含めて、折々の
場面できものを装い、きものスタイルを通じて、和の心や
日本の伝統的な価値観、新たな時代に目指す理念の背景を
伝えると共に、関心を持ってもらい理解を深めて行きたい
と考えています。
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