長根英樹 2つの公約

和の心による国の建て直し。
  和の衣食住など温故知新による日本の伝統的価値観の再構築。
  心の改革、新たな国づくりの象徴的な国家事業としての遷都。

情報アクセス(高速インターネット無料接続他)を国民の権利と位置づける。





○和の心による国の建て直し。

  和の衣食住など温故知新による日本の伝統的価値観の再構築。
  心の改革、新たな国づくりの象徴的な国家事業としての遷都。



■ 和の国、和の心 ― 天皇陛下と日本 2005.02.18
  ・日本が日本でなくなってきているという危機感
  ・日本の在り方、天皇の在り方に立ち返って議論しない有識者会議の危うさ
  ・和の国、和の心 ― 世代を預かる意識
  ・直系優先の相続でない点が大きな特徴 ― 日本の皇位継承、万世一系、男系継承
  ・シビリアンコントロールと天皇陛下
  ・皇室運営を皇室、天皇陛下のもとにお返しを
  ・現在の皇位継承論議の問題点
  ・政治家が責任を持って日本の国の在り方、天皇の在り方を論ずるべき

■ 「日本国憲法と武士道精神」 〜 和の心による国づくり 2004.01.06
  ・和の心、和の価値観について
  ・和の心−人と人との繋がりの大切さについて
  ・和の心−自然との親和性の強さについて
  ・和の心−多様性の尊重と究極化
  ・和の心、和の国づくりと武士道精神について
  ・日本国憲法と和の心、武士道精神、及び国際社会における役割について
  ・和の心、憲法の精神に基づいたイラク問題への対応について
  ・テロとの戦い、人類史を次段階へと高める大きな調和に向けて

■ スロークロージング Slow clothing 2003.01.01
   〜 米沢織・きものを通じた温故知新による地域コミュニティの再生

  ・スローフード運動の広がりと発展
  ・衣食住を通じた総合的なスロー運動
  ・2つのスローな価値 地域独自性(多様性)&普遍性
  ・地域の資産&可能性を繋げて相乗効果を
  ・衣・きものに蓄積されたスローな価値
  ・織物のまちならではの地域興しの可能性
  ・米沢、日本から世界に発信するカルザイ的スタイル
  ・鷹山公の銅像が語る未来へのメッセージ
  ・スロークロージングによる総合的な地域興し



新たな時代の精神、心の在り様、価値観や文化を、今一度
あらためてつくり上げる意味において、自分自身の内部、
日本の内部にあるものを見つめ直して、その本質的意義を
探る「温故知新」が大切になると考えます。

日本文化の伝統的な価値観、先人達の蓄積のすばらしさ。
私はこれらのものを、きものを通じて、観念的にではなく、
衣服を身に着けるという生活に根ざした形で体感し、普遍
的な価値を持つもの、新たな時代を担う価値観となるもの
として確信を得ることが出来ました。

「衣食住」と言われる様に、衣服装いは、それぞれの人々、
地域、国の文化、すなわち価値観や美意識、心の在り様と
密接に関わり、相互に影響を及ぼし合う関係にあります。
そして、日本の伝統的な価値観形成の土台となり、同時に
和の心を表現してきた装いは、まさに和の服“きもの”に
他なりません。


きものを着ていると、季節の移り変わりに関する敏感さ、
繊細な感受性を実感します。
様々なきもの素材、織物の分類、それらのコーディネイト
には、微妙な季節の移ろいを感じ、それを味わい楽しんで
来た様子が見て取れます。

春夏秋冬、四季の分類だけではなく、更に細かく分類した
中国伝来の二十四節季も感じ分け、実際に生活慣習や衣服
装いの中に取り入れてきた繊細な感性。
これは、自然への慈しみ、感謝につながり、弱いものへの
優しいまなざしにつながります。
私の第二の故郷である山形県南部の米沢、置賜地域には、
「草木塔」という、自然の木や草花を供養する搭が数多く
残されています。

また、花鳥風月を愛でる心は、自然と一体になる中で生活
のメリハリを味わう風流、美意識につながります。
更に、人智をはるかに越えた自然の営みへの畏敬は、人間
より大きなものの存在を確信させ、時に高い理想へ一身を
ゆだねる高度な公私関係の基礎になったものと思われます。


きものの仕立て、布の段階活用には、ものを大事に愛おし
む心、エコロジカルな思想を感じることが出来ます。
隙のない直線的な裁断図には、真理の強さ、美しさが表れ
ており、生地を無駄にすることなく再び一枚の布に戻して
活用したり、揚げや繰り回し等によりうまく再生する工夫
が見て取れます。
布は、補強、継ぎ等により大切に使われますが、布として
の強度が落ち、破れやすくなった最終段階でも、更に細く
引き裂かれ、再び布糸として新しい糸と共に織り込まれる
裂き織り技法などにより最後まで活用されます。


きものの素材、色、柄、小物も含めた深い吟味とこだわり。
また、それらの意味性を象徴的に捉え一つのストーリーを
描く高度なコーディネイト解釈。
時と場、立場に応じた多段階の礼装表現など。
これらからは、知的なしゃれ心と共に豊かなセンス、大人
の男のダンディズムなどを感じることが出来ます。


「襟を正す」「折り目正しく」などの言葉がありますが、
礼装、公的な装いスタイルからは、公私のメリハリを大切
にする心や覚悟が感じられます。
気軽な着流しスタイルとは違い、公的な装いである袴姿は
凛と気持ちを引き締め、装う側にある種の覚悟を求めます。
「仁」という愛徳をもって治め、「忠」の義により理想に
身を委ねる武士道精神は、紋付き袴スタイルであればこそ
心に宿ったエスプリであったと考えます。



ここで武士道の精神について、あらためて見つめ直しその
神髄を探りたいと考えます。
武士道は、私の第一の故郷、生まれ育った岩手県の新渡戸
稲造博士が、諸外国に日本の文化、精神基盤を伝えようと
約百年前に英文で著した書です。
現代では、かつての封建的な主従関係の要諦を解説した、
古い日本文化論として捉えられる面もあるやに見受けます。

しかし私は、昔話としては捉えておらず、新たな時代にも
活きる深い示唆を与えてくれるものと捉えています。
そしてその示唆は、文中において紹介のある一君主の言葉
に象徴的に表れていると考えます。
私の第二の故郷、米沢の上杉鷹山公が家督を譲る際、後継
者に授けた言葉「伝国の辞」です。

「伝国の辞」
一、国家は先祖より子孫へ伝へ候国家にして我私すべき物
  にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこ
  れ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人
  民にはこれ無く候

この言葉から読みとれるのは、高い理想主義の精神です。
君主と武士、人民との間に、直接的な主従の関係ではなく、
共通の理想を仰ぎ、共にそれぞれの立場、役割意識で理想
実現に取り組む関係性が存在した点に、深い示唆と感動を
覚えます。


上杉鷹山公については、同じくほぼ同時期に著された内村
鑑三氏の「代表的日本人」においても紹介があります。

米国第三十五代ケネディ大統領は、これらの書に目を通し
ていたとされ、記者会見において「最も尊敬する日本人は」
と聞かれた際に、上杉鷹山と答えたと言われます。

大統領就任演説における有名な一節、
「国が何をなしてくれるかを問うのではなく、
 国のために何をなし得るかを問うて欲しい。」
という言葉には、個人の自由や権利とは別の視点から、国
のトップリーダーと国民とが共に共通の目標に向かう姿勢、
相互の義務という面で、武士道精神の粋との共通性が見い
出せます。
単なる民主主義ではなく、リーダーの役割、高い精神性を
重視し、国民にも参加義務を求める形で君主政治との高い
次元での融合、昇華のエスプリが窺えるところです。



日本において、君主と武士、人民が仰いだ共通の理想は、
様々な外来文化の吸収により枝葉を広げながらも、脈々と
して根を長く伸ばし、日本古来からなる英知の年輪を積み
重ねてきた太く真っ直ぐな樹幹そのものであり、非常に純
粋で故に普遍の価値を持つ「天道」、天の道理であったと
考えます。

日本は無宗教の国ともいいますが、個々人における各々の
信仰はともかく、国、社会としては、特定宗派にとらわれ
ることなく、その存在を認めた上で八百万の神として尊重
しつつ、それらの高位に天道を位置づけ仰いできたものと
考えます。

上杉鷹山公の政治により、約二百年前、米沢、置賜地域は
まさに天の国ともいえる理想社会を実現します。
その象徴的なエピソードとして、実際に米沢を訪ねた学者
が残した「棒杭の商いの話」があります。
“人里離れた道の傍らに、わらじや果物などを棒杭にぶら
 下げた、管理人のいない市場がある。
 人々はそこに記されている通りのお金を置いて品ものを
 持ち帰る。
 こういった市場で、盗みが起こるとは誰も思っていない
 のである。
 この様な商いが、現実として行われている。”
この様な話です。
こうして米沢は、「至治の国」、治世ここに至れりとまで
言われる様になったとのことです。

この様に、天道に基づいた高度な理想主義、日本の文化、
和の伝統的な価値観には、凛とした気概、繊細な感受性、
慈しみやさしさなど素晴らしい宝、普遍の真理が詰まって
います。
今あらためて温故知新、この豊かな精神基盤を復興再構築
することこそが大事であり、新たな時代を切り開いていく
基礎となる課題であると考えます。


私は、今後国内のみならず外国訪問の際も含めて、折々の
場面できものを装い、きものスタイルを通じて、和の心や
日本の伝統的な価値観、新たな時代に目指す理念の背景を
伝えると共に、関心を持ってもらい理解を深めて行きたい
と考えています。
 




 ○情報アクセス(高速インターネット無料接続他)を国民の権利と位置づける。 

私の目指す日本一新の構造改革は、すなわち我々が選択し
尊重をする民主政治、市場経済を健全に機能させ、本来の
姿で運用し、高度に昇華させた社会を目指すものです。

民主政治、市場経済の健全運用においては、市場における
個々人の“選択”の質的向上が不可欠となります。
自由な“選択”には、結果に対する責任も伴います。
この“選択”は、決して博打的な判断を求めるというもの
ではありません。
この自己責任に基づく“選択”を、十分に納得のいく形で
的確に行い、その質を高めていくためには、選択肢を比較
検討するための充実した情報が不可欠となります。

選択のための基礎的な一次情報、他との比較データ、論評
解説等、これらの充実があってこそ、初めて個々人の選択
は、博打的要素のない、結果責任を伴う確固たる市場への
意思表明、参加となり得ます。


この高度な民主政治、市場経済の確固たる実現のために、
個々人の選択の質的向上を図る意味合いにおいて、私は
「情報アクセスを国民の権利と位置づけ、国家の
 責任において保障する」
という施策が絶対不可欠と考えます。

この情報アクセスは、
一、「情報公開の促進、説明責任の徹底」
一、「広帯域情報ネットワークの整備とこれへの無料接続」
の二つを柱とするものです。


かつて織田信長は、関所を廃止して自由な往来を保障し、
人やものの交流を促進しました。
これにより国の活力を大きく高め、産業文化を発展させて
生活の豊かさと強固な税収基盤を築きました。

現在は、情報技術の飛躍的な進歩によって、実際の道路を
用いなくても、情報通信回線ネットワークを通して、映像、
音声、文字等の情報を多面的にやりとりする手段が現実の
ものとなった訳ですから、この整備により情報流通を促進
して国の活力を高めることが、今の日本における重要課題
であると考えます。

今盛んに「IT」という言葉が用いられていますが、イン
フォメーション・テクノロジー=情報技術における“技術”
という側面を強調しそれだけに着目すると、時代の大きな
変革の流れを狭い視点で見誤ることになりかねません。
インターネット社会の本質的な意義、革命的要素は、情報
技術そのものではなく、この進展による情報流通の促進、
すなわち「情報の自由化、情報の民主化」にこそあるもの
と捉えます。


既に日本国土の基幹部分には、官民含めて幾重にも高速の
光ファイバーケーブルが整備されています。
この基幹線と各戸までの間を繋ぎ、全国全戸への情報通信
回線ネットワークを構築いたします。
この際、入札方式等によって、民間の既設回線投資が無駄
にならない様に借り上げ、しかも新規の敷設、運営維持に
おいても競争原理が働く様な基本方向で進めます。

道路や電線と同じ様に、大容量の光ファイバーケーブルが
各家庭にまで繋がると、インターネットが双方向テレビに
変わります。
現在のインターネット動画中継は、転送できるデータ容量
が小さいために、画像のサイズも小さく、動きもなめらか
ではなく、途切れがちとなります。
大容量回線の整備により、多くのデータが転送でき、初め
てテレビと同じ様に、大きな画面で、きれいでなめらかな
画像を見ることが出来ます。

インターネット初心者にとっては、何万ものチャンネル数
を持つテレビが、月額無料で見られることとなります。
機械自体も、ビデオデッキやゲームマシンの様に、従来の
テレビと繋いでリモコンで操作する外付け小型タイプの他、
五十音順に並んだ日本語キーボードなども出てくることで
しょう。

今までのテレビと違う特徴としては、双方向性があります。
従来は、チャンネルを回した後は、流れてくる画像を見る
だけでした。もちろん、今後もこうした使い方ができます
が、自分で見たい情報を選び、ボタンを押して画面を切り
替えていく、電子紙芝居的な使い方が出てきます。
また、簡単な操作でアンケートへの参加やプレゼントへの
応募、意見の投稿、電子メールなどの情報発信が出来ます。
データ保存型のホームページでは、いつでも、何回も繰り
返して情報、番組を見ることが出来ます。
全国、全世界の個人発信ホームページを見ることで、従来
マスメディアでは取り上げられなかった様な分野、切り口
の、専門的で多彩な情報、番組を見ることが出来ます。
もちろん国会中継も、各委員会各会合の様子を、いつでも
大画面のなめらかな動きで見ることが出来ます。

この他、二台、三台のテレビで部屋毎に別々の情報、番組
を見たり、電話も同じく二台、三台を繋ぎ同時に使ったり、
テレビ電話も可能となります。
また、各種家電の遠隔モニター、リモコン操作なども含め、
一度にそれぞれを何台分も使える様になります。

もちろん、インターネットを使い慣れた上級者にとっても、
更に快適に、高度なサービスを、二十四時間繋いだままで
存分に満喫することが出来ます。

ここで重要なのは、インターネットの初心者も上級者も、
少なくともテレビを見る様な形で容易にネットワーク上の
情報を見ることが出来て、全国民がそれぞれの形で情報の
活用を行える共通の土台に立つという点にあります。



個人レベルでの自由な情報収集や情報発信が盛んになると、
従来は組織上部やマスコミ等の限られた人々しか知ること
の出来なかった、あるいは知るのには非常に手間やお金の
かかった一次情報の入手機会が飛躍的に高まります。

これにより、マスメディアの報道や論評が、一般市民から
検証、評価される様になり、情報にも競争原理が働くこと
となります。


本来、ジャーナリズム、メディアの本義として、民主政治、
市場経済の健全運営のために、市民の選択を情報の面から
サポートし、比較データや論評を提供する役割があります。
しかしながら、時に「第4権力 The fourth estate」と
まで称され大きな影響力を有するマスメディアは、規制や
既得構造の内部にあって牽制勢力との競争が緩やかとなり、
往々にして、個々人の意識や能力とは別に、組織の硬直化、
機能不全を起こし守旧派となる傾向を持ちます。

また、市民の側も日々大量の情報を前にして、そのムード
に流され勝ちとなり、批判的精神で情報を咀嚼したり他の
論調と比較吟味することが疎かになります。
結果として、判断を他に委ねる無責任他律型の行動様式に
陥る傾向が強くなります。

今までのマスメディアは、マス、すなわち大衆から選ばれ、
認められているメディアというよりは、大衆に情報を伝達
する手段を持っているメディアと見ることが出来ましょう。


情報アクセスの保障による情報民主化は、情報発信を個人
にも解放すること、またその受信を個人が容易に行える様
にすることで、情報に競争原理を働かせ情報の質を高める
ことに繋がります。
的確な情報発信、魅力ある提案が出来れば、マスメディア
に頼らずともより多くの人々から支持や選択を得ることが
可能となり、また的確な情報の咀嚼判断が出来れば、いち
早く有利な選択をすることが可能となります。
個々人の情報に対する感度が高まり、情報の質も高まって
いくことでしょう。

自ら情報を判断し、意志の決定や選択を行い、その結果に
責任を負う。
この自己責任行動により、成功をしたり、時に苦い思いを
したりと経験を積み重ねていくことで、意識の改革、個人
の自立が進んでいくものと考えます。



また、情報アクセスの保障と対になる課題として、情報を
受け取り活用する側個々人の「情報リテラシーの向上」が
大きなテーマとなります。

この情報リテラシーとは、情報をうまく収集咀嚼し、情報
を的確に発信し、また相互のコミュニケーションを通じて
情報価値を高め創造を行っていく能力のことを言います。

一、「情報を受け取る力」
   これは、情報の的確な検索収集能力の他に、情報の
   真偽や意図的な誘導表現を見抜く力。
   情報を分析整理して体系化する力です。

一、「情報を発信する力」
   自分自身の考えや気持ちを分かりやすく伝える力。
   例えば、双方向テレビでプレゼントに応募したり、
   意見を投稿したりする能力。
   電子メールでコミュニケーションをする能力。
   ワープロを使い文書としてまとめる能力。
   ホームページを作り情報発信をする能力。
   これらを効果的に行うため、文字情報の他に画像や
   音声等を用いて表現する基礎的な能力などです。

一、「情報の受発信を通じて他者と交流し創造する力」
   先の能力を踏まえて、他者と交流して相互刺激の中
   から共感を深め、新たなものを創造していく力。
   これは、他者や集団の中でのコミュニケーションに
   おいて、いかに関係づくりを行うか。思いやりや心
   くばり、個人の自由とコミュニティ内での義務制限
   のバランスを心得て交流する能力。
   この交流を通じて、価値を創造する能力となります。


この情報リテラシー向上をサポートする施策として、学校
教育と地域における社会人教育、この両面から施策を展開
いたします。
例えば、小学1年生、4年生、そして中学1年生と3年毎
に、それぞれの段階に応じてノートパソコンを教科書同様
に無料配布して、学校で情報教育を行います。
生徒へのノートパソコン配布は、家庭に持ち帰っての世帯
配布と同様の意味合いを持ちますので、父母等大人の意識
変革、親子での取り組み、家庭教育の活性化にも繋がると
考えます。

また、情報リテラシー教育においては、現在の教師だけで
なく、新たにビジネスマン出身者などの雇用、委嘱を促進
します。
学校のみならず、地域においても希望する大人や就職希望
者などに対して教育を行います。

情報リテラシー教育は、今後の自己責任自立社会において
絶対不可欠の重要課題となりますので、公的に人材面での
集中投資を行うべき分野と考えます。
今後、各種規制の撤廃緩和等により、産業構造の大転換や
人材の再配分が不可欠となりますが、初期における緩衝的
意味合い、人材吸収分野として、この情報リテラシー教育
分野は大きな時代的役割を果たすものと考えます。

また、情報の基礎的能力を持ったビジネスマンの再配分、
特に知的労働、社会づくりへの関与という観点からの故郷、
地方都市への移動は、地域社会における情報産業の底辺拡
大だけでなく、他産業、生活文化面をも含めた地域活性化
に繋がるものと考えます。



公共サービスには、各人の使用程度に応じて受益者負担の
原則で行う従量型サービスと、全員に等しく同一の保障を
行う一律型サービスとがあります。
水道料、電気料などは前者の従量型サービスとなり、使用
量に応じて料金が上下します。
一方、歩いて学校へ通う際の道路、あるいは図書館などは、
遠くから歩いて来た生徒が、距離に応じて道路整備費用を
多めに負担することもなく、また本をたくさん借りた人が、
冊数に応じて税金を多く負担することもない、後者の一律
型サービスとなります。

必ずしも、すべてのサービスにおいて従量型とする合理性
はなく、国や社会のあり方を広い視点で捉えた時、全体の
利益に適うと判断をすれば一律型、完全保障型のサービス
を選択することもあってしかるべきと考えます。
そして、その判断は、目指す社会の将来像、展望を明確に
した上で、政治の役割、責任において行うべきものである
と考えます。


規制の撤廃緩和、制度の変革は、新たな創造チャレンジの
意欲を高める意味で非常に重要な意味合いを持ちます。
しかしながら、創造そのものを促進する作用は期待が薄く、
故に心配、抵抗も出てきます。
この十年、遅々として社会構造の改革が進まなかったのは、
政治の責任もありますが、国民一人ひとりの中にある変革、
自立への“おそれ”も要因になっているものと考えます。

私は、「情報アクセスの保障」と「情報リテラシー向上の
サポート」こそが、個人の創造性と自立を促し、社会変革
を推し進める鍵になると考えます。
この二つが両輪となり、新たなチャレンジにより自己実現、
自立を果たす人々が次々に出てくることでしょう。

変革、チャレンジへの“おそれ”が“希望”へと変わり、
新たな目標が明確に見えて、新たな日本の姿に自信を持つ
ことが出来たとき、国民の意識改革は進み、努力した人が
報われる、活き活きとした自己実現自立社会が現実のもの
となることでしょう。

私は、この様な将来展望と意義の認識に基づいて、政治の
責任において「情報アクセスの保障」と「情報リテラシー
向上のサポート」、この二つの政策を、一律完全保障型の
サービスとして推進して行くことを約束いたします。
 



 ■ Copyright 長根英樹         E-mail:nagane@kimono.gr.jp 
   :2001年 2月 1日   更 :2005年 2月18日